茶太郎のその後・・・。 [長く生きてりゃ・・・]
連載したころの茶太郎2014-11-14
茶太郎の連載をしてから3年近く経った。
彼はいまだ健在である。晩年になって気の毒な出来事があった。
自宅前の広場、かれにとっては憩いの場所がなくなってしまったことだ。
ここは日当たりも良く、
適度な草もあり身を隠すにも丁度良い場所だったのだが、
ここに犬の家に発音が似たワン・ルームマンションができてしまった。
憩いの場を失ったかれは、新しい場所を探しまわる。
やっと見つけたのは、車が頻繁に行き交う道路を渡らなければ
たどり着けない無人マンションの前庭だ。
ここは、管理不行き届きから60センチくらいの草が一面に生えていて、
日向ぼっこにはちょうど良い場所なのだ。
ただここへの往還は、緊張が伴う。
彼は後ろ足が複雑骨折したままもう10年は経つ。
前足二本で行き交う車の間隙をぬって行き来しているのだ。
寒さで傷口も痛むらしい。足取りがおぼつかない。
きょうも散歩の途中、道路わきの枯草の中を覗くと、いたいた。
横向きで馬が寝る時のようなポーズ(足4本を投げ出した格好)で
横たわっている。
現在の茶太郎2017.2.16
猫は勝手、というが
どんな猫でも呼べばなんらかの反応をするのが常だ。
茶太郎は、とくにサービス精神旺盛で、
遠くからでも呼べばニャ~と言いながら近寄ってきて
挨拶に応じる。
しかし今日は違った。
「チャ~おはよう」と言っても反応がない。
いつもなら寝ていても耳だけはぴくっと動かすのだが・・・。
高齢につき、もしや?と心が動転する。
四度呼んだとき、
やっと首をもたげてこちらを向いてくれたが、
動こうとしない。寝ぼけているのだろうか?
いやちがう。
日増しに反応が遅くなってきたようだ。
茶太郎を見て自身の動きを重ねてみた。
敏捷さがなくなり、注意力も散漫になってきた。
連載過去記事:
気まぐれ日記‐STRAY CAT その1 チャとシッポのこと・・・2014-11-14
気まぐれ日記‐STRAY CAT その2 シッポに触った。・・・・2014-11-14
気まぐれ日記‐STRAY CAT その3 茶太郎への助言・・・ 2014-11-19
気まぐれ日記‐STRAY CAT その4 シッポの代わりが・・・2014-11-22
気まぐれ日記‐STRAY CAT その5 同じ境遇に思う・・・・・2015-09-07
廃れ行く日本の風景 [長く生きてりゃ・・・]
七草
新しい年も足早に進んできょうは五節句のひとつ人日(じんじつ)である。
ちかごろは日本の伝統家庭行事や風景が消えて、寂しい。
年の瀬の風物詩のひとつに障子張替があった。
各戸は縁側や庭、路地などに障子を出し、
一年の垢を洗い落とし、真っ新な障子紙に張り替えて正月を迎える。
自分が子供のころは一家総出で行われていたものだが、
時が移り、家の構造に障子そのものがなくなってきたためか
都心でこの光景はほとんど見られなくなった。
わが家の障子張替は次のようなものだった。
子供たちにとって、この時だけは思い切って障子紙をバリバリと
破ける楽しみがあった。
バケツの水に浸した雑巾で長姉は
障子の桟にこびりついた汚れをふき取り、糊をはがす。
七輪に掛けられた鍋で糊を作るのは次兄、
あねさん被りに割烹着姿の母は、
真っ白な巻紙(障子紙)を手際よく左から右へ、
下から上へと順に張ってゆく。
これを真似て二番目の姉が上から下へと張りはじめると
「ダメダメ!」と母に叱られる。
紙が重なった部分が剥がれてくると、ここに埃がたまるからである。
出来上がった障子をもとの位置にはめ込むのは
父と長兄の役目だった。
家父長のもとに家族は一つに纏まり共同作業のなかで、
子は親からごく自然に生活の知恵を学んだものだ。
昨日、映画『この世界の片隅に・・』を観た。
戦時中、不器用ながら懸命に生きる少女とその家族の
日常生活を描いたアニメーション映画だ。
このなかに食糧不足から、
薺(ナズナ)、タンポポ、ハコベやスギナを採って
お粥のなかに入れて食べるシーンがあった。
戦時中は毎日の食材が
路傍や田畑にごく自然に生えていた雑草を食って
命をつないだ時代だった。
観客は年配者が多い。
この映画の評価が高い原因は、それぞれの「むかし」が
よみがえってくるからだろうか?
今朝の七草粥は、
ノスタルジックな気分にさせられた。
[語彙注釈]
五節句とは:毎年五度の節句をいう。①正月7日が人日(じんじつ)=七草、②3月3日が上巳(じょうし)=桃の節句・ひな祭り、③5月5日が端午(たんご)=男子の節句、④7月7日が七夕・星祭り、⑤9月9日が重陽(ちょうよう)=菊の節句の五つをいう。
七草とは:芹(セリ)、薺(ナズナ=ぺんぺん草)、御形(ゴギョウ=ハハコグサ)、蘩蔞(ハコベ)、仏座(ホトケノザ)、菘(スズナ=蕪の別称)蘿蔔(スズシロ=大根の別称)
◆
熱気球のなかで・・・ [長く生きてりゃ・・・]
こちら、ただいま38度弱の熱気球に乗って空宙を彷徨っています。
すでに7日が経過していますが、ラダー(舵)も、
コンパスもない熱気球は、なかなか着地点が見つかりません。
昼間は太陽の暖かさに包まれて比較的安泰なのですが、
夜になると気球全体が破裂するほどの咳に悩まされています。
喉の奥はアベかわ餅のような痰がまとわりつき、
詰まった鼻孔からときたま出る空気は、プウ・チンと異様な音を発します。
四島ならぬ穏当な日々はそう簡単にやってきそうもありません。
さて、今年もあと半月、今年一年のマイ・ブログ総括をする時期に至りました。
しかし、熱気球のなかでの論理的思考は無理です。
思いつくまま続き欄に掲載いたします。
(今回は本文での写真・挿絵は省きます)
◆◆
真珠湾攻撃の日に考えたこと [長く生きてりゃ・・・]
明日は、75年前旧日本海軍が米ハワイの真珠湾を奇襲した日です。
日米戦争が始まった日です。
戦争は勝っても負けても人間の肉体と心を傷つけます。
安倍首相が現役首相として初めて慰霊のため真珠湾を訪問するとのこと。
敵味方の、指導者と戦士が戦争犠牲者を悼み、過去に折り合いをつけ、
平和を誓うことはいいことです。
兵士の体内に食い込んだ弾丸を取り除く 衛生兵の手術 (等身大ジオラマ)
前線では麻酔薬がなく、苦痛にあえぐ兵士の顔が痛々しい。
◆
その記念日を前にしての心象日記を続き欄に記します。
◆◆◆
千葉パルコ最後の日 [長く生きてりゃ・・・]
千葉市の中央繁華街に出店して40年、
県民から愛された千葉パルコが今日最後の日を迎えました。
野次馬根性で行ってみました。
10日前にJR千葉駅が大々的にリニューアルされてオープン。
<千葉駅中央エントランス>(詳細は続き欄の付録参照)
こちらパルコは、ちょっとさみしい店じまいです。
千葉市の中心商店街は次第にすたれ、
駅近辺と駅中がにぎわう現象が続いています。
千葉パルコが進出するまで、この地は地元企業のタバタ百貨店でした。
が、火災が発生し、最上階に住んでいた社長まで巻き込んだ悲しい歴史があります。
すぐ近くには奈良屋デパートがあり地元の百貨店が
多くの人を集めていました。
しかし、時の流れとともに人の流れも変わり、中心街の大型店は次々と閉店。
(近々、三越デパートも閉店です)
きょうだけは、当時の賑わいを見せてくれました。
同じビルの一角で友人が写真店を経営しているので立ち寄ってみました。
「これからどうするの?」と尋ねたところ
「おれもやめるよ。これといった趣味がないから酒くらって死んじゃうよ」
寂しい答えが返ってきました。
続き欄は、近隣にお住いの方だけへのお知らせです。
◆
気づきのない人 その4.酒豪自慢 [長く生きてりゃ・・・]
このロシア系日本人ジマンスキー氏の連載記事は、
今日でおしまいとします。
身近なところで観る人間模様をありのまま書いておりますから
なかには、これって、あいつのことかな?
いやいや俺のことかも?などと
複雑な思いで読んだかたもいると思います。
気分を害された方には深くお詫びします。
この連載で驚いたことがひとつあります。
自分のblogは、立ち上げてから4年目になりますが
このタイトルを載せてからアクセスが急に増えまして
自己最高を記録しました。
共感してくれたのか、コノヤロウ!と思いながら
読んでくれたのか真意はわかりません。
いろいろ問題はあると思いますが、今回で終わりにしますので
お付き合いください。
では「酒豪自慢」を続き欄に始めます。
◆
気づきのない人 その3 成金自慢 [長く生きてりゃ・・・]
ロシア系日本人ジマンスキー氏の第3話ですが
北島三郎の演歌「歩」からはじめます。
一番、
肩で風切る王将よりも
俺は持ちたい「歩」のこころ
勝った負けたと騒いじゃいるが
歩のない将棋は負け将棋
二番
<前節略>
歩には歩なりの意地がある
いつか「と金」で大暴れ
(作詞: 関沢新一、作曲:安藤実親)
「と金」は成金とも言いますね。
「と金」=成金(歩兵が敵陣地に入ると駒が裏返って金将の動きができる)
将棋の歌ではこんなのもあります。
吹けば飛ぶような将棋の駒に
かけた命を笑わば笑え~
・・・・・・・・・・・・・・・・・
演歌「王将」の歌いだしです。
世の中には将棋の駒ではなく、お金の束に命をかけるひとが多くいます。
きょうは「成金自慢」ほか3つを続き欄に記します。
河童社長、預金通帳を並べて一人酔いしれる之図
(この絵の意は本文参照)
よろしかったら続き欄をどうぞ!
◆
気づきのない人 その2 しごと自慢と役職自慢 [長く生きてりゃ・・・]
きょうはロシア系日本人オーボラ・カチンクル・ジマンスキーさんの第二話です。
第一話(前回15日)を読んでいないかたは、
何のことだかわかりにくいかもしれませんが・・・
では早速始めます。ご興味ある方は続きをどうぞ!
気づきのない人 その1 子供自慢 [長く生きてりゃ・・・]
ロシア系日本人のオーボラ・カチンクル・ジマンスキーさんをご存知ですか?
きっとあなたのお近くにもいるのでは・・・?。
きょうは、この方について記したいと思います。
大ホラつきで・(聞く側は)カチンと来る自慢好きの人です。
河童、釣り天狗を曳く之図(自慢屋はいつか水中へ没する)
◆
自分のblog更新は、週一くらいですが、
きょうからは、あまり間をおかず掲載します。
拙文が長すぎるからです。
全部で1~9話まであります。
第一話は1~3を載せます。
では続き欄に・・・。
古希+3の手習い その 4 水墨画って何? [長く生きてりゃ・・・]
水墨画イメージ
◆
先般、水墨画って何だろうという疑問から、いろいろな文献を漁ってみたと記しました。
調べるうち頭のなかが混乱するほど、
大昔からたくさんの「画論」や「名画記」ならびに「画法」の
記録(書物)があることがわかりました。
しかも1,000年以上も前の記述は、
誰が、いつ書いたのか
専門家であっても難しいようです。
おおざっぱではありますが
どうも中国の唐(618~907)や五代(907~958)の時代に著されたものが、
後世の宋や明の時代に加筆されたり書き替えられたり、
著者を変えて(偽って)記しているものが複数あるようです。
水墨画ってなに?
ご興味のある方は続きをどうぞ。
ただし、これは素人のわたしの見解ですから間違っていたらご指摘ください。
◆
古希+3の手習い その3、絵と画の違いってなに? [長く生きてりゃ・・・]
長く生きておりますと、いろいろな人に出会います。
首尾よくことが済み、呉先生から感謝のしるしとして
古希+3の手習い その2.水墨画の流れと魅力 [長く生きてりゃ・・・]
長く生きておりますと楽しいことがいっぱいです。
「お化け」にとてもよく似てまいります。
外見ではありません。
双方の置かれた環境や行動パターンがともかく似てくるのです。
水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』の歌を思い出してください。
ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ~
朝は寝床でグーグーグー
楽しいな 楽しいな おばけにゃ学校も
試験も何にもない~
ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ~
みんなで歌おうゲゲゲのゲ~
(2番も同じです。)
ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ~
昼はのんびりお散歩だ~
楽しいな 楽しいな お化けにゃ会社も
仕事もなんにもない~
(後略)
3番は、あちらに行ってからのお楽しみ運動会ですから略します。
◆
自由には、何もしなくていい自由と
何でもしていい自由があります。
わたしは、後者を選択し、きょうも走り回っています。
きょうは、水墨画って何さっ?を
少し硬い文体で語ってみたいと思います。
衒学的と思われるかもしれませんが
①拙い絵しか描けない恥を
②拙い文章を書くことで補う
まさに恥の上塗りです。
◆
古希+3の手習い その1.水墨画との出会い [長く生きてりゃ・・・]
霧の吹き方、刷毛の動かし方、のりのつけかた等、
手加減をちょっとでもまちがえると
皺だらけになったり裏紙と絵(表紙)の間に空気が入ったりする。
とても集中力を要する作業だ。
しかし、これも描くのと同様、けっこう楽しい。
きょうから2回に分けては、水墨画の魅力についてお伝えします。
趣味の自慢話は、観る側、聞く側にとって不愉快千万!
よって、ご興味のある方だけ、続きをどうぞ!
古い手紙 [長く生きてりゃ・・・]
きょうから来年の朝顔シーズンが始まるまで、
気の向くままに朝顔以外の見たこと、したこと、考えたことなど自身の心象を綴ります。
したがって写真は少なく絵や文章が多くなると思います。
自分のブログデータ分析表をみますとアクセスしてくださるかたは、
ソネット・ブロガー以外の人が圧倒的に多く閲覧者の90%を占めます。
また、朝顔のブログより散文主体の方が見ていただけるようです。
でもまだ延べ801,000人強ですから、なんとか1,000,000人を超えるまで
書き進めたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
長く生きていますと記憶から消え失せるものが多くなりますが
古い記録(日記や手紙)から忘れていた当時を呼び起こすがあります。
では『古い手紙』からはじめます。
昭和の大事件に2度遭遇した男が逝ってしまった [長く生きてりゃ・・・]
一昨日の夜、友人の通夜があった。
以前、このブログで紹介した元自衛官の通夜だ。
短い一生のなかで二度も日本の歴史的事件を目撃した
数奇の運命を持った男・作間優一氏が鬼籍に入ったのである。
詳しくは、過去のブログに記してあるが、
大学生時代、同僚たちの生ぬるい学園生活に嫌気がさし自主退学。
一般公募で自衛官になった人だ。
一度目の事件は、入隊してまもない1970年(昭和45年)に配属先の
市ヶ谷駐屯地で起きた三島事件。
二度目は、 1985年8月12日に発生した御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故である。
かれを知らない人でも二度目の事件で生存者の少女が
ホバーリングするヘリコプターから下げられた一本のロープで
自衛官に救出される映像を記憶している人は多いと思う。
その自衛官なのだ。
かれは陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地から選抜され首都防衛を担う習志野駐屯地へ転駐した元レンジャーである。
ただのレンジャーではない。
レンジャーの教官として第一空挺団などで多くの隊員を育てた。
自身、銃剣道や格闘技で何度も全国優勝しており
勇猛果敢、沈着冷静さを持った男、全国自衛官憧れの的だった。
レンジャーの訓練のひとつ。炎天下4kgの銃を持って20k走。
青い腕章が教官
きょうは元部下(現防大顧問)の弔辞のなかに、知られざる彼の一面をみることができた。
かれは、「生まれるのが遅すぎた武士」という形容詞が似合う。
心よりご冥福を祈る。お疲れ様。
かがみ跳躍,ロープ渡り、ロープ登り、ハイポート(小銃を両手で持ち上げた状態で行う長距離走)20キロ走:炎天下で、戦闘服を着用し小銃を抱える完全装備。アスファルトの地面を戦闘靴(ブーツ)で蹴るので、相当な苦痛を味わうことになる。
ちなみに現用の89式5.56mm小銃の重さはおよそ4キログラム。
爆破、小銃の射撃、襲撃(伏撃など)、斥候、徒手格闘、隠密処理(刃物等の無音武器のみを用い襲撃、暗殺)通信術(FM無線機での戦術交話、手信号など)
野戦築城、潜伏、ヘリボーン、舟艇潜入、武装水泳、緊急脱出(水中において装具、靴等を放棄する訓練)、森林戦、夜戦、山岳戦[5]、雪中戦、市街戦(CQB)、生存自活(「生きた蛇を調理して食べる訓練」として知られており、いわゆるサバイバル実習。食べることのできる動植物の知識や判別法、調理法などを学び、実際に蛇や鶏等を解体処理し食する)、野外衛生、対尋問行動・・・(この項の出典=Wikipedia)
地震の被災者のなかに同級生が・・・。 [長く生きてりゃ・・・]
熊本の地震被害は、収まるどころか日増しに増加しています。被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。
九州には自分の小中学校時代の同級生3人が嫁いでいます。その中の一人K子さん宅は、1回目の震源地益城町から7~8kmのところにあります。すぐ電話をしましたが通じません。被災地は、救急連絡や家族の安否確認等で電話回線がマヒ状態なので、しばらく控えたほうがいいとのアドバイスをうけ、気をもみながら5日が経過しました。
きょう、本人と連絡が取れました。「家族は大丈夫だったが家をやられ今避難場所で生活している」とのことでした。「何かできることがあったら遠慮なく・・・」というと、「いまは物資の流通が滞っているから、物を送ってもらっても避難場所の手元に届くまでに相当時間がかかる」とのこと。もどかしいがどうすることもできません。
一昨年、自分のところに電話がありました。「遠くにいる者ほど故郷が恋しくなるんです、大変でしょうがまた同期会を企画してくれませんか」と要望があり実施しました。そのとき熊本の人気ゆるキャラ「くまモン」の団扇をたくさん持って船橋にやってきました。参会者の数人から「K子さんはクラスのなかでも一番幸せそうな人生を送っているよなあ、旦那もやさしそうだし・・」といわれていました。その彼女に古希を3年すぎて不幸が襲いました。人生いつ何がおこるかわかりませんね。かの女は今一生懸命この苦難に耐えています。彼女だけではありません。被災者の皆さんのことを思うと心が痛みます。
明日は遅ればせながらクラスメイトと支援策を話し合い行動に移そうと思います。
被災者の皆さん頑張れ~!
※撮影は、合気道師範(6段)大城秀夫先生(わたしの師匠)のエールを込めたワン・ショット
新旧電話ボックスの使い方 [長く生きてりゃ・・・]
年よりの免許更新 [長く生きてりゃ・・・]
長く生きておりますと、いいこともあるけれど、概ねマイナス面が多いようです。
昨日は、自動車運転免許証の更新日でした。今回の更新は、過去のものと違います。
免許証の更新期間が満了する日に年齢が70歳以上の者は、更新手続きの前に「高齢者講習」を受けなければ、免許証の更新ができないのです。 わたしもその該当者になったわけです。
そこで昨年12月に民間の自動車教習所で5,600円を支払い、その講習を受けました。(高齢者は、70歳以下の者より更新料がこの分、高くつくのです)。ここで運転動作の診断や視野測定、運転適性テストを受けました。総合判定結果は、5段階評価で③です。事前講習終了書を持って更新場所の免許センターに向かいました。
そこで見たものは・・・・?。
続きをご覧ください。
◆ ◆ ◆
友は、今や日本を代表する職人となった [長く生きてりゃ・・・]
ながく生きておりますと、ひとりの人物について、その成長過程を眺めることができます。
きょうご紹介するのは、半世紀にわたるお付き合いをしている友人のお話です。
二日前と一昨日TVでご覧になった方もいるのでは、と思います。
局は異なるのですが、11日がフジTVの「スマップ スマっプ」で、12日がTBSの「所さんのにっぽんの出番」という番組で取り上げられた人物です。
かれの名は、佐野末四郎。
木製ヨットを東京江東区新木場で造る船大工の9代目です。
かれは日本が誇る木工技術者のひとりです。
現在は、木製自転車やマホガニー製スピーカーづくりの方が忙しくなりました。
写真はTV画面からの抜粋ではじめます・・・・。
◆ ◆ ◆
乾いても味のあるものに [長く生きてりゃ・・・]
あといくつ寝るとお正月?
みなさんのご家庭では、おせち料理づくりの準備に忙しいことと拝察します。
この時季に合わせて今年最後の水墨画の画題は、自画像みたいな乾物でした。
干からびても念ずれば活き活きと・・・。
上図の煮干しのうちの一匹がこともあろうに・・・・
[老人の主張]
乾いても「味のある人に」私はなりたい!
良いお年を!