登山200回記念 [スポーツ]
今年に入って「平成最後の・・・」といった冠のつく行事や記事が多くなりました。
しかし、今日はホントウの最後の日です。
明日から当分の間「令和元年最初の・・・・」と冠がつくことでしょう。
わたしの所属する軽登山愛好会「山麓会」は今月平成最後の例会となりました。
一時代終焉の4月に節目の登山200回を迎えたのです。
この機会にビジュアルで振り返ってみました。
事務局長のNくんがまとめてくれた過去200回の記録
こう見ると実に多いことがわかります。
初回は平成10年4月11,12日
一泊で奥多摩「むかし道」を歩きました。
むかし道(奥多摩工業のトロッコ線跡)
この会は、千葉県立船橋高校の昭和36年卒同期生21名で始まりました。
会の名は、36のごろ合わせで「山麓会」と名付けました。
21年前(当時55歳)の写真
すでに亡くなった会員も写っています。
このほか5人いたのですが、なぜか写っていません・・・)
初期のころの新年会
みなさんまだ頭髪は黒髪です。
高尾から陣馬への雪道
那須
鉄山への尾根道4人組
安達太良山
栗駒山の秋景色
泊まった宿は、その後流されてしまいました。
尾瀬
こんな霧の中を歩く日もありました。
雨の日もありました。
木漏れ日の中で・・・。
登山100回記念は、氷川と多摩川の出会いにある
山荘「鉢の木」の下に植樹と記念碑を建てました。
記念碑(表)
記念碑(うら)
奥多摩白丸ダム付近
150回記念ハイク
わたしたちは節目節目に奥多摩に行きます。原点回帰です。
八方尾根登山 あいにくの曇りで山が見えませんでした。
白馬駅から数分の姫川源流湿原
今回200回を迎え、山荘「鉢の木」のバーベキューハウスで記念セレモニー
200回記念特別講演(山荘鉢の木にて)
警視庁山岳救助隊員の安全講習会です。
この21年間、私たちが大きな事故もなく過ごせたのは、
同期生の中に大学や会社で山岳部員だった者やワンゲル出身者がいること、
現役の医師や元製薬会社幹部、介護士、スポーツ指導員など人材豊富なところかもしれません。
山麓会は軽登山が主体ですが、個人ではそれぞれが険しい山に登っています。
たとえばわたしの場合下図のような具合です。
冬の木曽駒ヶ岳登山(下方3人の真ん中が自分)
同宿の登山者がたまたま撮ってくれた1枚。
二種類のアイゼンを持って・・・。
3015m大汝山山頂
凍てつく寒さだったが山頂だけは陽だまりで霜がなかった。
さて、最後は200回記念の集合写真です。
発足以来21年 皆さん歳をとりました。
でも喜寿とは思えないほど元気!元気!
平成のトンネルを抜けて令和の時代へと向かいます・・・。
タグ:登山
結婚祝 [スポーツ]
去る9月、若いヨット仲間が結婚しました。
長年、県大会やタイの国際レースで好成績を上げてきた女性です。
客船をチャーターして開いた結婚披露パーティーは、
心臓の術後検査日と重なり出席できなかったので
今回愛艇(ヨット)を使い
遅まきながらお祝いのデイ・セーリングをしました。
乗艇者は、新婚夫妻を含めヨット仲間5人。
予定では、東京夢の島マリーナを出港し、ディズニーランド沖を
セーリングしながら、浦安マリーナに入港。
上陸したあと、ホテルで会食をすることになっていました。
ところが、入港するとゲストバースが修理中。
着艇できず追い返されてしまいました。
誤算でした。
以前の浦安マリーナのゲストバース。これが事故や台風で工事中だったのです。
酒・ビールは十分あるものの食べ物は
乾き物(つまみ)しかありません。
こんな時の海上は、不便極まりないのです。
バンコックのような水上マーケットや物売り舟なんて
東京湾にはありません。(本船相手の商い舟は今もあるかも)
結局アルコールだけで夕方まで過ごすことになりました。
しかし、若い者に囲まれてのセーリングは
昼抜きでも楽しい一日でした。
セーリング中に見た光景を続き欄に載せます。
特に有明や晴海ふ頭は、オリンピック関連の工事が
着々と進められているのを目の当たりにしました。
◆
タグ:デイ・セーリング
第68回千葉県民体育大会 ヨット競技 [スポーツ]
毎年8月最後の土曜日は、
千葉県民体育大会夏季大会ヨット競技の開催日です。
いつもより早めに起きて出かける前の一仕事。
まずは朝顔の水やりと殺虫剤の散布。
今朝の一押しの朝顔はこれ
県大会は、県内の郡市対抗競技で今回は10市1郡の26艇がエントリー。
船橋チームは、男子2名、女子1名のベストメンバーで臨みました。
自分は今回も監督として出場しました。36回目の出場です。
今回は、強風下の大会となりました。
朝方8時半、会場に着くと、
ポンド内(船溜まり)の風速計は11m/sec前後を示しており
帆走禁止の吹き流し(赤)が揚げられていました。
したがって海に出れば13m/sec前後は吹いていることになります。
全県から集まってきた選手ならびに監督は
半日風がおさまるまで待機となりました。
ヨットは風が無くては走れなませんが
強すぎても危険を伴うため走れないのです。
クルーザータイプならば、
このくらいの風はどうということはないのですが
県大会はディンギータイプで
一人乗りですから沈の危険が伴います。
午後1時半、風は幾分おさまって9m/sec前後となったため
大会レース委員長から2時半レース開始の通達が出ました。
郡市の監督は、いつもなら海上から指示を出したり
激励したりするのですが、強風のため余分な船を出せず
陸からの応援となりました。
このため、写真は陸からの画像がほとんどです。
男女とも元国体選手を揃えた船橋市チーム(左端は女子選手の監督)
出艇風景
ポンド内は、波静かです。
船橋チーム男子選手の出艇
船橋チーム女子選手の出艇(右)
出艇、着艇時は、腰まで海水に浸かってスロープを昇降するので夏はいいが、冬場はきつい。
レースエリアに向かう同世代最年長のM氏。かれは単独で世界一周をしている鉄人。
スタート間近。
奮闘した自チームSさん
風向210度(南西の風) ランニング(追い風)帆走
風上方面の釣り桟橋から撮影したので白波は少ないが、艇が風下から上る時は、高い波を受ける。
風が強いときは、体重が重い選手が有利。
軽い選手は、ラジアルセール(レギュラーサイズの帆より少し小さい帆)を張る人が多い。
26艇中15艇が棄権や失格、途中棄権。
ベテラン選手も沈するほどの悪条件にもめげず
自チームの選手は男女とも沈せずに完走。
風がやまず1レースで終了となった。
レース結果は下表の通り。
赤マークが失格や途中棄権した艇。完走艇の方が少ない。
チームの花、高3のOちゃんは安定した操船で2位となった。
女子表彰式、左は1位でフィニッシュした我孫子チームのKさん。
右は2位船橋市チームのOちゃん
中央は船橋男子のキャプテンYさん。昨年よりランクを上げてニンマリ。
右は渋い顔のライバル館山市(3位)監督
表彰式が終わって記念撮影。
風がやまず皆さんの髪の毛はバラバラ。
船橋市チームは、男子2位で7点、女子2位で4点、大会得点11点。
今夏も昨年に続き船橋市は男女総合では1位でした。
ここ十数年、船橋市チームはいつも3位以内の入賞です。
ちなみに
浦安市の得点は男子1位の8点、女子は不出場で0点、大会得点8点。
ライバルの館山市は、男子3位で6点、女子RET3位、2点、大会得点8点。
結果オーライで満足でした。
セーリング大会の翌日の昨日は高校時代のバスケットボール部OB会に出席。
運動バカはじっと留まることを知りません。
◆
タグ:セーリング
押してもだめなら・・・ [スポーツ]
サッカー・ワールドカップ予選リーグが終わった。
日本は、かろうじて16強入りし本戦に入る。
予選H組の日本対ポーランド戦の後半の戦い方には
賛否両論あるものの自分は監督の采配を良しとする方だ。
勝ち抜かなければ本戦に進めない戦い。
戦国時代を例にとるまでもなく
負けたらチームは「さらしもの」になるしかない。
生き延びなければ前に進めないのだ。
日本代表チームは、観る人のために闘っている訳ではない。
あの試合運びはフェアーではないと怒っている人がいる。
今回、日本もポーランドもルール違反をしているわけではない。
日本は責めていたにもかかわらず
1点入れられた時点で、ピンチ到来!
戦況は変わったのだ。
臨機応変、戦術を変えねばならない。
目の前の相手と日本。別試合のアルゼンチン対セネガルの実力差、
残り少ない時間帯でどう戦えば生き延びられるかを考えれば
今回の決断は当然である。
過去の2戦一度も勝てなかったポーランドは
ここで勝って母国に帰りたい、
同点ではメンツが立たない。
だから、かれらもリスクを冒さずにこのまま終えたほうがいいと判断した結果、
ボールを追おうとしなかった。
つまり両国チームの思惑が一致したのである。
高校野球史に残る、松井秀喜選手への敬遠とは
内容を異にする。
西野監督の胆が据わった采配の瞬間、
私の耳に水前寺清子の歌が聞こえてきた。
星野哲郎作詞、首藤 正毅作曲の
「押してもダメなら引いてみな」である。
苦労人・星野哲郎氏はこの詞の発想を次のように語っている。
・・・・・・・或る飲み屋で一人の客が
共同便所のドアが開かずに困っておかみに助けを求めた。
そのとき、おかみの忠告が
「押しても駄目なら引いてみな」だったから・・・・
難しく考えることはない。
押してもダメなら引いて勝つのだ。
大きなかけではあったが
予選最終戦は、引いたからこそ前に進む扉が開いたのである。
タグ:スポーツ
サッカー ワールドカップ 場外観戦記 [スポーツ]
4年に一度のサッカー ワールドカップは
グループリーグも中日を迎えた。
どのメディアもサッカー一色である。
数あるスポーツの中で、
なぜサッカーだけは全世界でこんなにも騒ぐのだろうか?
・・・と言いながら、こちらも毎夜楽しみにTV観戦している。
日本がコロンビアに勝った夜は
アドレナリンがヴァーっと出た。
現地に行けないので同じ気分を味わおうと
パブリック・ビューイングに行こうと思ったが
都内の後楽園や有明では遠すぎる。
そこで近くのパブリック・セントーに向かう。
画面の大きさと収容人数では見劣りするが
ファインプレーやゴール時の場内の反響と熱気は
こちらの方が勝る。
ただ厄介なことに、入口で男女のサポーターは別々に分けられてしまう。
したがって黄色い声援は、遮られたタイル壁の向こうから聞こえてくるのみだ。
それでも盛り上がる。
そう、ここはパブリックセントー※内の
TV観戦なのだ。
観戦者の勝手な話も面白い。
コロンビアチームの中に黒人選手が、
5~6人いるのを見て
ある人は「歴史を感じるなあ」。
またある人はストレートに
「かわいそうに奴隷の末裔が戦わされているだけやん」とつぶやく。
歴史をさかのぼれば、確かに16世紀以降アフリカ大陸から
奴隷船で連れてこられた人たちの末裔であろう。
アフリカ西海岸からアメリカ大陸や中南米にやって来る途中の船中は、悲惨だった。
ぎゅうぎゅう詰めの船室で粗末な食事と真水ではなく海水を飲まされ、
半数以上のものが死んだという記録もある。
体力的に優れた者だけが生き残ったようだ。
その遺伝子を受け継ぐ子孫なら
身体能力が高いに違いない。
ところが結果は、日本が勝った。
身体能力が低くとも日本は、「知」と「和」の能力がそれを補う。
次戦は、これまた16世紀から19世紀にかけて
1500~2000万人のアフリカ人が奴隷としてカリブ海やアメリカ大陸に
向かった奴隷船の出航地として名高いセネガル共和国。
奴隷船の出航基地のあったゴレ島。奴隷の家は負の遺産として今も残る
一方、現在の農海産物では、落花生、カツオ、タコ等で
特にタコは日本の全輸入タコの60%を占めている。
最高標高が581mというお国柄は
わが千葉県の物産や低山特徴と似ていて親しみがある。
背が高く足が長いだけでなく国民男子が
幼い時から親しむセネガル相撲※で鍛えたマッチョな体が勝つのか
日本の知と和が勝つのか、一筋縄では行きそうもない。
明後日が楽しみ!
※パブリックセントー:(パブリック=公衆)+(セントー=銭湯)=公衆浴場。こんな英語はありません。暁烏 英の造語です。あしからず。
※セネガル相撲:サッカーとともにセネガルの2大スポーツのひとつ。直径25mの円形の砂のリンク上で戦う。対戦相手の肘か背中を土に着けるか、尻もちをつかせれば勝ち。プロは素手で殴る蹴ると何でもありのルール。リンクが広いので押し出しはない。
サッカーには向かない体つきだがセネガル相撲には、こんなのがゴロゴロいる。
身長が1.9mを優に超えて、しかもこの体躯。
日本の相撲取りより強いだろうと言われている。
ただし、髪の毛が縮れているためちょんまげが結えない。
このため日本の相撲取りにはなれないのだそうだ。
日本相撲協会は、この頭髪に感謝しているかも・・・。
詳しくはYouチューブで観れます。
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タグ:サッカー