昭和の大事件に2度遭遇した男が逝ってしまった [長く生きてりゃ・・・]
一昨日の夜、友人の通夜があった。
以前、このブログで紹介した元自衛官の通夜だ。
短い一生のなかで二度も日本の歴史的事件を目撃した
数奇の運命を持った男・作間優一氏が鬼籍に入ったのである。
詳しくは、過去のブログに記してあるが、
大学生時代、同僚たちの生ぬるい学園生活に嫌気がさし自主退学。
一般公募で自衛官になった人だ。
一度目の事件は、入隊してまもない1970年(昭和45年)に配属先の
市ヶ谷駐屯地で起きた三島事件。
二度目は、 1985年8月12日に発生した御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故である。
かれを知らない人でも二度目の事件で生存者の少女が
ホバーリングするヘリコプターから下げられた一本のロープで
自衛官に救出される映像を記憶している人は多いと思う。
その自衛官なのだ。
かれは陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地から選抜され首都防衛を担う習志野駐屯地へ転駐した元レンジャーである。
ただのレンジャーではない。
レンジャーの教官として第一空挺団などで多くの隊員を育てた。
自身、銃剣道や格闘技で何度も全国優勝しており
勇猛果敢、沈着冷静さを持った男、全国自衛官憧れの的だった。
レンジャーの訓練のひとつ。炎天下4kgの銃を持って20k走。
青い腕章が教官
きょうは元部下(現防大顧問)の弔辞のなかに、知られざる彼の一面をみることができた。
かれは、「生まれるのが遅すぎた武士」という形容詞が似合う。
心よりご冥福を祈る。お疲れ様。
◆
通夜の会場には、何百人という弔問者が訪れた。
献花のなかに副陸将ら自衛隊関係者のほかにノンフィクション作家・門田隆将や、小説家・浅田次郎の名も見えた。
門田隆将は、『風にそよぐ墓標ー父と息子の日航機墜落事故』(集英社2010)のなかで作間氏について数頁割いている。
また作間氏の生きざまを主題としたノンフィクション本をものしようとしたが、作間氏はかたくなに断り実現しなかった。
御巣鷹山の事件についても、長い間、口をつぐんでいた。語り始めたのは、ごく最近である。
浅田次郎は、三島事件に誘発されて事件の翌年20歳で入隊している。作間氏より年齢は2歳年下だが市ヶ谷駐屯地で第32普通科連隊で世話になったためだろうか・・・?
◆[レンジャー訓練概要]
レンジャー課程は例年5月下旬から約3ヶ月間行われ、前半の体力訓練と後半の実戦訓練に分かれる。訓練に参加するには、年齢・体力の基準を満たしていなければならない。
前半(体力訓練)
かがみ跳躍,ロープ渡り、ロープ登り、ハイポート(小銃を両手で持ち上げた状態で行う長距離走)20キロ走:炎天下で、戦闘服を着用し小銃を抱える完全装備。アスファルトの地面を戦闘靴(ブーツ)で蹴るので、相当な苦痛を味わうことになる。
ちなみに現用の89式5.56mm小銃の重さはおよそ4キログラム。
かがみ跳躍,ロープ渡り、ロープ登り、ハイポート(小銃を両手で持ち上げた状態で行う長距離走)20キロ走:炎天下で、戦闘服を着用し小銃を抱える完全装備。アスファルトの地面を戦闘靴(ブーツ)で蹴るので、相当な苦痛を味わうことになる。
ちなみに現用の89式5.56mm小銃の重さはおよそ4キログラム。
後半(実戦訓練)
爆破、小銃の射撃、襲撃(伏撃など)、斥候、徒手格闘、隠密処理(刃物等の無音武器のみを用い襲撃、暗殺)通信術(FM無線機での戦術交話、手信号など)
野戦築城、潜伏、ヘリボーン、舟艇潜入、武装水泳、緊急脱出(水中において装具、靴等を放棄する訓練)、森林戦、夜戦、山岳戦[5]、雪中戦、市街戦(CQB)、生存自活(「生きた蛇を調理して食べる訓練」として知られており、いわゆるサバイバル実習。食べることのできる動植物の知識や判別法、調理法などを学び、実際に蛇や鶏等を解体処理し食する)、野外衛生、対尋問行動・・・(この項の出典=Wikipedia)
爆破、小銃の射撃、襲撃(伏撃など)、斥候、徒手格闘、隠密処理(刃物等の無音武器のみを用い襲撃、暗殺)通信術(FM無線機での戦術交話、手信号など)
野戦築城、潜伏、ヘリボーン、舟艇潜入、武装水泳、緊急脱出(水中において装具、靴等を放棄する訓練)、森林戦、夜戦、山岳戦[5]、雪中戦、市街戦(CQB)、生存自活(「生きた蛇を調理して食べる訓練」として知られており、いわゆるサバイバル実習。食べることのできる動植物の知識や判別法、調理法などを学び、実際に蛇や鶏等を解体処理し食する)、野外衛生、対尋問行動・・・(この項の出典=Wikipedia)
◆
[自分の関連blog記事]
「御巣鷹山事故追悼番組」TV視聴の御礼
「御巣鷹山日航機事故から30年」
◆◆◆
タグ:友人
お名前は知りませんが、御巣鷹山の救出した自衛官。
心よりご冥福をお祈りいたします。
あの救出劇は忘れません。お疲れ様でした。
by green_blue_sky (2016-05-26 06:13)
おはようございます。
御巣鷹の救出、〇村〇子さんですよね。
今は、看護師をしているのではないでしょうか。
お冥福をお祈り致します。
by aru (2016-05-26 06:22)
67歳とはまだお若い・・・
ご冥福をお祈り申し上げます。
暁烏 英さんも気を落とされませんように。
by よしころん (2016-05-26 07:35)
どちらも、しっかり記憶が残っています。
まだまだこれからなのに、67歳は早いですね。
ご冥福をお祈りします。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2016-05-26 07:44)
どちらも覚えております。
御巣鷹山での救出、テレビで最後まで見ていました。
弔辞に涙する私、ご冥福をお祈りいたします。
by puripuri (2016-05-26 10:46)
双方の事件はよく覚えております、御巣鷹山での救出に携われた自衛官お方がお亡くなりになられたんですね、67歳とはお若いのにね、ご冥福を祈ります。
by 馬爺 (2016-05-26 11:40)
どちらも衝撃的な事件でした。
もちろん、救出写真も憶えています。
まだお若いのに・・・
心より御冥福をお祈りいたします。
by まりりん (2016-05-26 14:23)
戦後の出来事に関わった人物。 ご冥福をお祈りします。
by Jetstream (2016-05-26 21:01)
67歳と言ったら、まだこれからいくらでも人生を楽しめるお年でいらっしゃるでしょうに・・・
歴史に残る出来事に関わった方だったのですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
by saia (2016-05-26 22:12)
歴史に残る事件に2度も遭遇とはまれな運命の方だったんですね。
まだまだ長生きして欲しかった年齢、ご冥福をお祈り申し上げます。
by g_g (2016-05-27 07:35)
そうでしたか!
川上慶子さんをしっかり支えていた姿は
今でもしっかりと思い出すことが出来ます。
勇敢、かつご立派な方だったのですね。
お子様たちのお礼の言葉にも父としても
じーじとしても優しかった一面を感じられました。
心からご冥福をお祈りします。
まだまだ57才は若すぎますよね。
by yoko-minato (2016-05-27 08:42)
歴史に残る大事件にかかわられた人物、家庭でもお子様、お孫さんに愛されていい家庭人でもあられましたね
ご冥福をお祈りいたします
by 花好き人 (2016-05-27 18:13)
ご冥福をお祈りいたします(合掌)
by ぽちの輔 (2016-05-28 05:42)
67歳とは私より一回り下です、残念でしたでしょうね
ご冥福をお祈りいたします
by koh925 (2016-05-29 10:56)
三島事件は当時の世界ではありえないような衝撃的な映像がテレビから流れていました。御巣鷹山の事故もレーダーから消えた航空機を探している様子をラジオで聞いていました。
その2つの大きな出来事に出くわした故人がどんなにか精神力の強い方なのか少しは判るような気がします。
まさに「生まれるのが遅すぎた武士」という形容がしっくりくるかと。ご冥福をお祈りします。
by DANKAI_Gen (2016-05-29 16:40)
ご友人のご冥福をお祈り申し上げます。
まだお若いですね~これからも日本のため役立たれる方でしたでしょうに、惜しい方を失くしましたね。
by mimimomo (2016-06-03 07:50)