別れの朝に咲いた花 [マイ・アサガオ ' 21]
幼馴染みの親友で、
わたしの朝顔づくりの分家筋でもあるT君の奥方が
亡くなった。
昨年の春、カザグルマの鉢をもらいに行ったときは
元気だったのに癌の発見が遅かったのか
治療の甲斐なくあっという間に亡くなってしまった。
近親者だけで営まれた自宅葬であったが施主の要望で
一緒にお見送りをした。
告別式の朝に咲いたのがこの一輪である。
T家は、浄土真宗の檀家なので、
導師は通夜に『白骨の御文』を詠んだ。
『朝有紅顔誇世路暮為白骨朽郊原』
読みは、
「あしたにこうがんありて、せじにほこれども、
ゆうべにはっこつとなってこうげんにくちぬ」
訳は。
「朝、血色のいい元気で若々しい顔をしていた者が
夕方には亡くなり野原で朽ちて白骨となってしまう」
これは人生の無常をのべたことばだ。
浄土真宗の葬式のときに詠まれる
蓮如上人の「御文章」白骨の御文として
よく知られているが、
もとは若くして疱瘡で死んだ藤原義孝の詩の一句(新古今和歌集)である。
わたしは真宗の門徒ではないが、
古今和歌集のなかのこの漢詩が気に入り
5年前、新築祝いに(この詩に暁烏の思いを入れた)賛入りの額を贈った。
(このときはT家の宗派を知らずに・・・)
人生は、朝顔の花に似て儚い。
だから、この一瞬(今)を真剣に生きたいという意味で
「而今」の二文字を最後に入れた(下図)。
彼女は、スポーツクラブを経営する夫を支え
また民生委員として地方自治に貢献、
75年の生涯を誠実に生きた。
合掌!
仏壇の正面の壁に飾ってあった。
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