〇印(わじるし)展 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
気まぐれ日記
〇印(わじるし)展
2015年12月3日
先日、早稲田大学に行く用事があった。ついでに神田川を渡り永青文庫に立ち寄る。日本で初めての「〇印展」が開かれていたからだ。
〇印とは春画のこと。西欧では、早くから美術品としての価値を認められていたが、本家日本ではワイセツ物扱い。公開すれば罪となった。春画を「あぶな絵」ともいうのはこのためか?
入館してみて驚いた。平日の午後という時間帯にもかかわらず、若い女性が列をなしていたことだ。前回立ち寄ったのは、宮本武蔵の「五輪書」が展示されていた時だった。が、あのときの閑散とした雰囲気と比べ、えらいちがいである。うす暗くて狭い会場は人いきれでムンムン。他人の頭越し、肩越しにしか〇印がみえない。
もうひとつ、来館者の雑談が多いという特徴があった。この現象は、目の前にした写実的な男女交合の場をこれでもかこれでもかと言わんばかりに展示されているから、どうも照れ隠しの会話らしい。
「こんなリアルな絵、次々と見せられると、もういいよって感じだわね」
「江戸時代の男って、けっこうあそこ立派よねえ」「ホント、ホント」等々。
男女の赤裸々な姿態を前にして目の置場というか心の動揺を隠せず発する会話らしい。そんななかに中学生か高校生くらいの女の子が真剣な表情で観ていたのが印象に残った。この娘は、専攻が美術でその鑑賞なのか? 性に興味を持ってやって来たのか? あまりにも幼い顔なので絵を見るよりこちらのほうが気になってしまった。
それはともかく、江戸期の庶民の性に対するおおらかさには驚く。人間の生にとって最も重要な性愛を、実に明るく、美しく、いろいろな角度から描写している。同時代の西欧には宗教上の問題から、このような絵は描けなかったとある本で読んだことがある。日本では、庶民から大名までこの絵を日常的に楽しんでいたというからおもしろい。
古い本だが華族の家に生まれた元お姫様の蜂須賀年子が自身の生い立ちを綴った『大名華族』(昭和32年刊)を読んだことがある。そのなかの「姫君の『性教育』」では大名家に伝わってきた性教育の一端を描いている。それによると「嫁入り前の教育としてこれを利用した」と書いてあった。
お付きの老女がまくら絵(春画)を見せて教授するのだが姫は「そんなみだらなものはみとうない」と言って見ようとしない。老女は心得たもので、その場に置いて帰ってしまう。しかし老女が引き下がったあとに、これをこっそり開き見るというものだった。ビジュアルに、言葉は要らない。性教育の実用本でもあったわけだ。
2階と3階のあいだの踊り場で季節外れの光景を見た。汗びっしょりの顔をパンフレットやハンカチで煽っている中年のサラリーマン風の男たちだ。男は絵を見ただけで興奮状態のようだ。
こちらも男なのだが「あな悲し」無反動砲?ならぬ無反応砲である。前立腺癌手術が憎い。
2階の展示品を観ているとき白人のペアーがわたしとおなじ歩調で観賞していた。女性の方が盛んに「Oh! Big horn!big horn!」を連発する。hornというスラング(隠語)を使うところをみると米国人のようだ。
「これは誇張描写!ホントはhornもpussyもsmallなの」と言いたかったがことばを飲み込んでしまった。日本人はご立派!といったおみやげ(印象)を持って帰ってもらった方がなんとなくいいような気がしたからだ。
どこからか「馬鹿なこと書いてんじゃないよ!」とお叱りの声が聞こえてきた。
死ぬまでの暇つぶし、というのは最近どこかで…
「感動して生きなきゃ」そんと、生きてます。
by 夏炉冬扇 (2015-12-04 19:01)
米国女性が感嘆するのは、彼らも大したことはないのかも・・・
男の永遠の願望ですかね・・・ ^^;
by 般若坊 (2015-12-09 18:42)
般若坊 さん
おっしゃる通りです。アカデミックに申しますと、かれらはウドの大木で硬軟の差は歴然。青菜の湯でものみたいなもの。春画を見た西欧人には間違ったままインプリントされているようです。
春画は、なぜ誇張されて描かれているかについては二つの説があります。一つは、道祖神で見られるように巨根信仰から、という民俗学的解釈。もう一つは、単に笑えるから、おもしろいからといった説です。どうも後者が正しいようです。リアルサイズでは面白みがないのです。春画を「笑い絵」ともいいますが、それを画商たちが笑いのワをとって隠語化したものが〇印(ワジルシ)です。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2015-12-10 08:55)