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高僧の末裔が亡くなった [長く生きてりゃ・・・]

 萱間治郎先輩3.jpg

義兄の49日法要は、先週末氷雨降る厳寒のなかで行われました。

帰宅してみると(学生時代の)運動部の先輩Kさんの訃報が届いていました。

3月18日に亡くなり、家族葬を済ませたという知らせでした。

Kさんと親しかった初代OB会会長宅に電話を入れると息子さんが電話口に出て

「母が今亡くなったところで取り込んでいる」と電話を切った。

二重の驚きです。

初代会長夫人もバスケットボール部のOGでした。

長く生きていますと別れの辛さを何度も味わいます。

きょうは、わたしが尊敬してやまないKさんこと萱間治郎氏の追悼日記を載せます。

ちょっと長い拙文ですがご興味のある方は続き欄を開いてみてください。

◆◆◆

高僧の末裔が亡くなった。

了義院日達上人の末裔(俗名萱間日達).jpg

ご先祖と、その末裔・萱間治郎氏

 江戸中期、水戸光圀や松尾芭蕉が活躍していた時代に、日蓮宗の高僧で了義院日達(にちだつ)という人物がいた。 華厳宗の鳳潭(ほうたん)、天台宗の霊空とともに教会(宗教の組織体)の三傑と称された人物である。生まれは陸奥  (福島)、俗名を萱間といった。

 この高僧については、立正大学の仏教学部長で現千葉県いすみ市にある本善寺住職・寺尾英智師がものした伝記『了義院日達上人遺芳』があるが、このほかに千葉県船橋市前貝塚町にある行傳寺元住職で故・寶田日雄(たからだにちおう)師(日達上人法縁の「達門会」元会長)が、『了義院日達上人正伝』を著している。

『了義院日達上人正傳』(寶田日雄著).jpg  

達門会元会長寶田日雄師.jpg

寶田日雄師

 書き出しから硬い文章になったが、この高僧・日達の末裔がわたしの高校時代のバスケット部先輩で3つ年上の萱間治郎氏である。 仏門に入っていたわけではないが晩年の容貌は、達磨大師のごとくで、その行いも先祖のDNAを引き継いでいるような徳のある人だった。

 大方の人は、単なる大酒のみの親父とみていたふしもあるが、並の人ではなかった。人育ての名人であり、清濁併せ呑む大人(たいじん)だった。「本もの」とは、栄達を求めず、目立つことを嫌い、決して自慢はしない。かれはそんな人だった。わたしもかれに育てられた一人である。

 一方、先述した『・・・正傳』の著者・寶田日雄師の息子さんは、自分と小学校の同級生であったが、卒業式を半月後にひかえて墓石の下敷きになり亡くなってしまった。 その兄上は、わたしより6つ年上で同じ高校のOBであり、バスケットボール部のコーチとしてお世話になった人だ。弟を亡くしてからわたしを実の弟のように面倒をみてくれた恩人である。

了義院日達上人ご本尊(京都頂妙寺所蔵).jpg

 不思議なご縁だが、同じ運動部の先輩後輩が、了義院日達上人を介して繋がっていたのである。寶田日雄師が日達の調査研究をすすめてゆくうち、その末裔が同じ船橋市内にいることを突き止めた。しかも、息子と同じ学校のバスケット部の先輩後輩の間柄だったからまさに奇遇と言わざるを得ない。

 治郎氏は、萱間家の次男で、一つ半違いの兄がいる。寶田師から先祖の業績を知らされたご長男は、いたく感動し(当時徳島大学物理学部准教授であったが)自身も先祖の研究をはじめ、定年後、得度してしまった。

 治郎氏は、普通の高校生とは違っていた。他人の家から無断で借用した自転車に乗り、野宿しながら関西方面を徘徊している。野宿した者でなければわからぬ体験を私に語ってくれたことがある。

「英、駅構内で寝たことがあるか? 駅舎にも浮浪者間の縄張りがあるんだぜ、お前も似たような旅をしているから知っているかもしれないが」と前置きして次のように言った。「名古屋駅構内で寝ていたらナ、許可なく俺の場所を盗りやがって!と蹴飛ばされんだ」・・・。

 わたしは、駅構内に宿したことはないがたしかに似たような野宿の経験はしている。「自然と人間の心の相関関係」をテーマに全国を歩いた時だった。寺社の境内や縁の下に「火は使わない」という条件で何度か泊まった。静岡の茶畑では雨を凌ぐために陶製の大きな茶壺の中で寝たり、古寺の裏に捨て置かれた同じような壺の中に寝た時は、翌朝飛び上がった記憶がある。なんとそれは大昔の陶製坐棺(死者を座った格好で埋葬する入れ物)だったからだ。
 

 治郎氏は、バスケットボール部の練習は欠かさないが、授業はさぼり雀荘に入りびたりしていたと他の先輩から聞いたことがある。学生服を着たまま大人相手に賭けマージャンをする。しかも、裏社会のお兄さんたちを相手に小遣い稼ぎをしていた。度胸がある。将棋もすこぶる強かった。35歳のときに日本将棋連盟から三段の免許を得ている。

萱間治郎氏35歳時の将棋三段免許.JPG 

スポーツにも共通するが勝負ごとが大好きな先輩だったのである。頭の回転が早く、負けを知らない頭脳の持ち主だったが、授業日数が足りず卒業は1年遅れになってしまった。教育者の母親の心配は尽きなかったようだ。

 かれは多くを語らない人だったので、後輩が知っている範囲は、かつて全国優勝したこともある男性コーラスグループ『ハーゲンメンデル』の団員だったくらいのものだ。そんなかれが、NTTを定年で辞めてから始めたのが「縁台将棋塾」だった。小学生から社会人までを対象に自宅を開放してやりはじめたのである。よそでは1時間数千円の指導料を取るが治郎氏は一切取らない。途中からNPO法人化して今日に至るが、その教え子の数は数えきれないほどいる。

 治郎氏は、入塾してくる子とまずは対局し、様子を見る。その子が上達し一定のレベルになると追い出してしまう。「ここにいたら、この先伸びないから・・・」という理由からだ。ふつう県大会や全国大会に出場できるような子供が育った場合、自塾の看板になるのでよそへは出さないのだそうだが、これも彼の人柄、さっさと追い出してしまう。だから、塾生の数は増えない。塾生を一人出すと、入塾待ちの子をひとり入れるというやり方なのだ。

 このような経営理念なので口コミで入塾希望者は絶えなかった。いまでは治郎氏の人柄を知ったプロ棋士が週2回手弁当でここにやってくる。一人は日本将棋連盟の元理事で竜王の西村一義九段である。自分は将棋界のことを詳しく知らないが、これは大変なことのようだ。竜王タイトル戦ともなれば4,000万円ちかくのお金が動く世界らしい。竜王は将棋界最高峰で雲の上の存在、その人がタダで教えてくれるのである。

西村買う由九段祝賀会会場にて.JPG

 治郎氏は、日本将棋連盟の要請を受け、中国上海の小学校で指導した経験をもつ。上海では日本の将棋が小学校の必須科目になっているとのことを初めて知った。

 若い時の無茶や大酒飲みが災いしてか、ちかごろは、糖尿病、腎臓病、動脈硬化など満身創痍で、10mちかく歩くと立ち止まって呼吸を整え、また少しずつ歩き始める、といった状況だった。最後の日は、奥方が庭の手入れをしている間に身支度をし、自分で救急車を呼び、そのまま帰らぬ人となった。死因は、急性心筋梗塞だった。

 息を引き取った直後、ふしぎなことが起きたと夫人は言う。教え子の小学生の母親から「きょう息子が全国大会の決勝戦に進んだ」と電話が入ったそうだ。塾長はこの吉報を聞く直前に逝ってしまった。この子の名は高坂直矢くんという。治郎氏の49日にあたる5月5日に決勝戦[晴れ]がある。NHKで放映されるそうだが師匠の弔いのためにも是非勝ってもらいたい。

 弔問の帰り際に将棋塾を陰で支えた夫人が言った。
「17年間、夫の趣味に付き合ってまいりましたが加齢につき、もうわたしの膝がいうことをきかない。そこで昨年の9月に、半年後の今年3月をもって塾を閉鎖する旨、役員と会員に通知を出していたんです」
 塾の閉鎖と自己の寿命を一つにして旅だったに違いない。 

 命日が3月18日だったので塾は予告通り3月いっぱいで閉鎖していた。片身分けに渡辺明竜王直筆の扇子と、

渡辺明竜王直筆の扇子.JPG

かれの蔵書の中から松本健一の『三島由紀夫の二・二六事件』、吉本隆明の『宮沢賢治』、藤原雅彦の『この国のけじめ』を頂戴してきた[サッカー]

[追記] こども将棋名人戦決勝は、5月5日以前に行われ、13日に放映された。残念ながら準優勝に終わったが、ベスト4の中で高坂くんは最年少(小学校4年生)。しかも将棋歴2年という超スピードでのし上がってきた。将来有望である。

最速小4高坂直矢 くん (1).JPG

最速小4 (2).JPG

準決勝 宮崎代表と対戦。

勝利し決勝へ

最速小4高坂直矢 くん (2).JPG

決勝は圓谷くんが勝利し名人に・・・。


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コメント 4

green_blue_sky

生まれは楽しみですが、周りの人がなくなると寂しくなりますね。
お悔やみ申し上げます。
by green_blue_sky (2017-04-07 07:42) 

夏炉冬扇

南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2017-04-07 17:32) 

CHIHIRO

息子が4年間小学4年生までえんだいでお世話になっていました。あれから10年、えんだい将棋教室はどうなっているのか調べて、萱間先生が昨年3月に亡くなられたことを知りました。通わせていた頃より先生の好意で会場が提供されていることを何となく伺っていたので、いつも頭が下がる思いでした。この春やっと大学生になった息子ですがその成長過程で大変お世話になったと思っている先生です。此方の文面を通して知らせていただきありがとうございました。
by CHIHIRO (2018-08-25 20:11) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

CHIHIROさん 世間は狭いですね。少しお役にたててうれしい限りです。明日は、バスケットボール部のOB会。萱間先輩の思い出話で花が咲きます。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2018-08-25 21:41) 

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