北総の大祭 [長く生きてりゃ・・・]
わたしが住む千葉県(房総)は、海と川に囲まれた半島です。
南部に山が少しあるものの
その高さはいちばん高くても愛宕山の408.2mです。
県央、県北には山らしきものはありません。
県の面積に山の体積を崩し平らに直した場合、
全国一低いのが房総半島です。
平地が多いため県央、県北は豊かな穀倉地帯となっています。
とくに北東部の利根川沿いは、水郷と呼ばれるように
豊かな水に恵まれて広々とした田園が続きます。
この穀倉地帯のシンボルが香取市に鎮座する香取神宮です。
今日は、12年に一度の式年神幸祭でした。
次回はもう無理と思われるので持ち前のフットワークで
見てきました。
香取神宮は、千葉県北東部、利根川下流右岸の
「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上にあります。
利根川左岸(茨城県)の鹿島神宮ともども香取神宮は、
古くより朝廷からの崇敬の深い神社です。
「神宮」の呼称 『延喜式』神名帳(平安時代の官社一覧)では、
「神宮」と称したのは
大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮の三社のみでした。
その神威の背景には、両宮が軍神として信仰されたことにあります。
祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)といい、
幸神祭は大神が東国を平定したときの様子を模して行われ、
氏子が平安時代さながらの装束を身にまとい、
行列を組んで神宮の周りを歩きます。
12年に1度、午年に行われる「式年神幸祭」には、
供奉者およそ3,000人が甲冑そのほかの歴史的装束で
約4キロの大行列を組み、陸に水上に一大絵巻が斎行されます。
参道は香取市津宮に始まる。この参道の起点は利根川岸で、
川に向かって浜鳥居が立っています。
鳥居は祭神がここから上陸したことに由来すると伝えられ、
この鳥居からの道がかつての表参道です。
『小右記』治安3年(1023年)の条によれば、
鹿島使(朝廷からの奉幣使)が鹿島神宮を出て
「渡海参香取宮」とあり、当宮へは海を渡っての奉幣が定例でした。
現在も式年神幸祭では、ここから神輿をのせた御座船が出発します。
御座船に神輿が載せられ川上に向かう。
鹿島神宮からお迎えの船がやってきて、
双方寄せ合って川中で神事を行う。
かつて舟運が盛んなころ栄えた佐原の町並みはいまも掘割が残り
江戸時代の面影を残しています。
[※印注釈]
香取神道流=正しくは天真正伝香取神道流(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう)という。
室町時代中期に飯篠家直によって創始された武術流儀で兵法三大源流の一つである。
流儀の興った頃から江戸時代初期迄新當流、天真正新當流、或いは神道流、香取神道流とも呼ばれる。
剣術、居合、柔術、棒術、槍術、薙刀術、手裏剣術等に加えて、築城、風水、忍術等も伝承されている総合武術
である。現存最古の武術流儀であり、その意味で貴重な流派である。
余談だが利根川左岸の鹿島神宮は、勝海舟が学んだ直心影流発祥の地。筆者30代、「海舟会」会員だった関
係から当時の宗家N氏と親しく交流する機会があって目の前で棒術を拝見したことがあった。
ものすごい迫力に驚く。
まさに絵巻物のような伝統神事祭りですね。
by 谷津ひろし (2014-04-18 05:47)
こういう伝統的な行事はいつまでも
後世に残されて欲しいですね。
by yoko-minato (2014-04-18 11:05)
この祭りは実に素晴らしく見応えのある行事ですね。
1度と言わず毎年見たくなりますね。参加も良いですよ。
乃木希典と繋がりがある家柄とは素晴らしいですね。
by 旅爺さん (2014-04-18 12:26)
陸と水上とで壮麗な式典ですね!
装束がどれも鮮やかで素敵です(*^-^*)
by Chobi.H.YAOITA (2014-04-22 13:35)