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午年の午と馬 [長く生きてりゃ・・・]

文章を書くとは、自分が知っていること、思うこと、体験したことを吐き出す、

いわば排泄作業のようなものです。

他方、読書は、食べ物のようなもので毎日新しい知識を体内に取り込みませんと

時の流れについてゆけなくなります。

心身のバランスを考えるとどちらも大切なのですが

外は寒いし、PCは目が疲れます。

そんなわけで暇つぶしの優先順位はどうしても読書優先。

ブログ投稿がおろそかになってしまいます。 

SS絵馬.JPG

 

さて、ことしは午年です。

馬も午もどちらもウマと読みますが、どうして馬年と言わないんだろう?

こんな単純な疑問から馬と午について、知る範囲で書いてみました。

 

馬.jpg 

馬の象形文字は馬そのものから派生
 
 
 
 午.gif
午の象形文字は杵(きね)の形から

 

さて結論は?

   方位.jpg

  暦法の座標

ご興味ありましたら続きを読むをクリックしてみてください。

午と馬

 今年は午年なので経済界は「相場が跳ね上がる」と喜んでいる。地方では「“午年は火早い”、火事にはいつも以上に気をつけろ」と注意を喚起するところもある。これは五行からきているのだろうか。秋葉神社や稲荷神社も午年は忙しいにちがいない。

 

十二支のなかでも馬は、縁起物として特に重宝がられる。江戸の春駒に代表される春駒踊りは新年の縁起を祝うものだった。が、いま都内で見ることはできない。

 

全国各地の神社の拝殿ちかくには絵馬が掲げられている。絵馬だけでなく生きた馬が神馬として繋がれている神社もある。トボトボとひとり歩きの旅を続けていると野辺の辻に馬頭観音、馬力神、馬刀神の板碑をよく見かける。ただ、西日本ではあまり見かけない。これは東日本では馬を、西日本では牛を農耕に使っていたためと聞いたことがある。

 

30数年前の厳冬期、岩手県遠野を訪ねたことがある。この地方に伝わる民話を語り部の深雪婆さんから直接聞く旅だった。囲炉裏の傍の障子一枚隣が馬小屋だった。その家は南部曲り屋で、馬と人間が同じ家の中に住んでいたことを知る。

 

奥の細道行脚の途中、尿前(しとまえ)の関(伊達藩と庄内藩の国境)で、芭蕉が『蚤虱馬の尿(しと)する枕もと』と詠んでいるが、宿した封人の家も同様だったからこの句ができた。人間も馬もひとつ屋根の下の家族なのである。

 

青森県恐山のイタコ(巫女)も馬の人形を使って先祖を口寄せする。30センチほどの桑の棒の一方に馬の頭を彫り、これに着物を着せたオシラ様(オシラ神)を踊らせながらオシラ祭文をとなえるのだ。この場合の馬は死者の霊が馬に乗ってこの世へ帰ってくる乗り物、憑代(よりしろ)なのである。

これはなにも東北地方に限らない。私たちがお盆のときにナスやキュウリにオガラの箸を挿して作る馬もご先祖様の霊の乗り物なのだから・・・。これらはアニミズムの世界観だ。

 

人間の馬に対する信仰はなかなか複雑のようだ。宗教学や民俗学でも明確に説明できないらしい。神道、仏教、陰陽道、俗信などが入り乱れていると、ある本にあった。馬は太古のむかしから人間と密接な関わり合いを持っていたからだろう。

 

 

 しかし、馬と午の関係がいまひとつわからない。動物の「馬」と、方位・暦法の「午」がなぜ結合したのか? 方位としての「午」は正南である。そのため太陽が真南に来る時刻を「正午」というのは周知のとおりだ。その真逆の方位は「子」(正北)である。だから北極と南極を結ぶ天球上の線を「子午線」(経線)という。正午より前を「午前」、あとを「午後」というのは誰でも知っている。したがって方位と時刻を表す午も日常生活の中に溶け込んでいるのである。

 

しかし、しかし、である。文字の誕生過程で「杵」から生まれた午と、動物の「馬の姿」から生まれた馬の相関については当方、寡聞(かぶん)にして、お手上げである。どなたかもっと詳しく知っていたら教えていただきたいと思う。

 

本題とはそれるが、もうひとつ十二支の獣でわからないことがある。日本の猪がご本家中国では豚であることだ。むかし亥年生まれの娘に猪をあしらったネックレスを香港で買ってきた。これがよく見たら豚だった。娘は豚扱いされたと怒ってか捨てられてしまった経緯がある。[サッカー]

 

[※印の意訳]

 

五行(ごぎょう)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説である。午は五行では火

秋葉神社とは神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現のこと。

 

春駒(はるこま・はるごま)とは、張り子などで馬の頭の形をつくり、竹を指す、そして下端に車をつけ子供が跨って遊ぶ玩具。中世にはすでにあった古い玩具。が、上述のような形になったのは江戸時代のようだ。錦絵などで見ることができる。獅子舞同様、春駒は予祝のための正月の門付け芸のひとつでもあった。正月の祝いとして芸者や役者などによって座敷や舞台でも舞われた。いまも春駒踊りは民俗芸能として新潟県佐渡地方、山梨県甲州市塩山の一之瀬などに伝承されている。郡上踊りもそのひとつ。沖縄の「じゅり馬」も同様だ。実際に座敷芸として何度も観た。自身も興に乗って何度か踊っている。

 

アニミズムとは、精霊信仰、地霊信仰などと日本では訳す。生物、無機物を問わずすべてのものの中に霊魂もしくは霊が宿っているという考え方。八百万の神を崇めるようなこと。

 

[付録]

悲喜こもごもの絵馬をここに転写します。

CIMG5038.JPG

 幸せそうな安産を願う絵馬

 

  

SS長作の畑道に建つ十九夜塔、馬頭観音、鬼子母神.jpg

畑道に立つ馬頭観音(右端)と、十九夜講(子安講)の如意輪観音群および

二股塔婆のある鬼子母神(左)

子安講は、若い嫁たちが集まり、安産や子育てのために祈る。

二股塔婆は仏教以前から伝わる習俗と言われている。

本年正月千葉市花見川区長作で撮影。

 

その一方で下のような悲しい絵馬もある。

 

 SS満願寺の口減らしの図.jpg

飢饉のため、わが子を間引きしている絵馬

2008.8、茨城県北相馬郡利根町徳満寺で撮影

 

 

[後記]

 次回は、年末に予告した日本の聖火について記します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タグ:午年の午
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コメント 3

yoko-minato

文章を書くことは思いを吐き出すこと
その通りと思います。
自分もそれを体験して心を整理したり
出来ました。
少し栄養補給をしたいと今は思っています。
by yoko-minato (2014-01-13 04:26) 

SORI

暁烏 英(あけがらす ひで)さん こんばんは

八千代市真木野と佐倉市小竹で二股塔婆がありましたが千葉市長作町にも二股塔婆があるのですね。情報、ありがとうございます。
今でも行われているようですね。このような昔の風習は一度すたれてしまうし消えてしまうわけですから、残っていることはすばらしいことだと思います。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2013-04-29
by SORI (2014-01-13 18:31) 

Chobi.H.YAOITA

あ、春駒、中学校の体育の授業で習いました
どこの春駒だか忘れたんですが
♪♪しちりょうさんぶの春駒春駒♪♪
・・・で検索したら、郡上踊りでした(^^)
都心の中学校でしたが
体育の先生が「絶対いい踊りだから」
とカリキュラム外で教えてくれました(笑)
by Chobi.H.YAOITA (2014-01-18 20:59) 

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