NO.20 旅の職人 その⑥団体旅行と添乗員の歴史 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
きょうは、いままでの投稿記事と少し趣を変えてまして、少々アカデミック? なお話です。
学術的な話って面白みがありません。
でも読み終わると、あっ、そうだったのかあ、と納得し旅の楽しみが増すはずです。
わたしは歴史学者でも、民俗学者でもありませんから、その知識は、じつに怪しいものです。
これは長い時間をかけて自分の足で調べた旅のルーツです。
異論、反論がある場合は、ご遠慮なくコメント欄でご意見をお願いいたします。
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巡礼 団体参詣の様子
熊野詣のイメージ
NO.19 旅の職人 その⑤ 政治家の裏表 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
添乗員は、いろいろな職業の人と出会える楽しさがあります。しかし、不愉快なことも正直あります。
旅の職人は、お客さんの要望になんでも応えねばならないのが基本ですが、
時によっては、絶対に飲めない場合もあります。
わたしの倫理観がそれを許さないのです。
きょうの体験談は、あきれた県知事の実話です。
わたしの文章はすべてノンフィクションです。
当事者は、他界されていると思いますが、
関係者はまだ健在かもしれませんので名前は伏せます。
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沖縄平和祈念公園
沖縄返還時の佐藤栄作首相とニクソン大統領
この返還にも表と裏(密約)があり、のちに大問題となった。
NO.18 旅の職人 その④ 藤山寛美さんのこと [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
旅にも歴史があります。アカデミカルな話は後日に回しますが、きょうも半世紀前の旅のお話です。
自分は、一般団体の旅行を担当していました。
団体旅行は、早いもので1年前から宿を予約します。
旅行シーズンの一流旅館は、すぐ満室となるからです。
また、団体旅行には、必ずといってよいほど大広間での宴会がありました。
おもに初日と、最後の夜の2回です。
宴会には、芸妓がつきものでした。
ご当地芸能アトラクションや、きれいどころ(芸妓・舞妓さんなど)も、
先手を打たないと人数に限りがあります。
きょうは、その予約トラブルをお話しします。
トラブルメーカーは、あの関西の喜劇王といわれた故藤山寛美さんです。
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これはイメージ写真です
NO.17 旅の職人 その③ 添乗員の新婚旅行 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
旅のプロの新婚旅行はいかに?
ちょっと恥ずかしいのですが、わたしの新婚旅行を紹介します。
26歳、季節は3月上旬のことです
結婚式の前日は大雪でした。
翌日に「人生儀礼」のひとつ「結婚式」を控えているのに
なんら緊張感もなく、仕事の帰り道、自宅近くの総武線下総中山駅のホームで、
結婚相手ではない近所の女友だちと雪合戦をして遊んでおりました。
べつに恋人でもないから「明日、ぼく結婚式なんだ」と言ってもいいのですが、
照れくさくてそのことには触れませんでした。
これがあとで面倒なことになりました。
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きょうのキーワード?
NO.16 旅の職人 その② 香港、女性客失踪事件 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
普通の商いならば、商品を売ったり納めたりした段階で売人と顧客は別れとなります。
旅行会社の添乗員は、旅の出発から解散時まで、もの言うお客さんと寝食を共にしなければ仕事になりません。
このため、スタートの段階から、失敗は許されません。最終日にその評価が出るわけですから・・・・。
解散時にお客さんから「ご苦労様、ありがとう」といわれるまで息を抜けません。
細心の注意を払っても、思いもよらぬアクシデントが時々起こるのです。
きょうは、東南アジアツアーの最終日前夜に突如姿を消した若い女性のお話です。
この時ばかりは、血の気を失いました。
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以下の写真は本文イメージ写真です
本日のキーワードは、ホテル キー
NO.15 旅の職人 その① 初期の海外旅行 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
現在は小学生でも海外旅行をする時代です。
ですからこれからお話しする内容は、旅の古典としてお読みくください。
観光を目的にした海外旅行が解禁になったのは1964年(昭和39年)です。
自由化前の海外旅行は、大変でした。
商用か留学、視察、移住の目的以外は許可が下りません。
解禁された後も1966年(昭和41年)まで外貨の持ち出しは年間US500ドルで
年1回限りの渡航しか認められませんでした。
沖縄に行くにも、まだアメリカ統治の時代でしたから、政府発行の身分証明書が必要でした。
わたしの手元には、そのパスポートがいまも残っています。
そこに書かれた旅行目的の項には「南西諸島への商用を許可する」と書かれています。
昨今の統計によれば年間300万人前後の渡航者がおりますが、わたしが初めて渡航した年は、
その1パーセントにも満たない年間2,3千人程度のころのことです。
今では笑い話のようなことが真面目に行われておりました。
きょうはそんなお話です。
まだ見ぬ国へ一直線
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感想を心待ちにしております。
NO.14 旅先は危険がいっぱい その④主婦に襲われたわたし [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
犬が人間を噛むのはよくある話です。
しかし、人間が犬に噛みついたら、大変なニュースになります。
女性が男を襲ったらニュースになるのでしょうか?
男は自身のメンツからだれにも言わないので
表に出ないのかもしれません。
事実は小説より奇なること、この世の中には結構あります。
恥をさらけ出すことに少し抵抗を感じながら、昨日の続きを今夜も書きます。
今日でシリーズを終えます。
次回から、またちょっとおもしろい旅の話をいたします。
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niceのボタンよりもコメントを頂戴できれば幸いです。
熟女河童の甲羅干し
甲羅をとると理性を失い飛び掛かる
NO.13 旅先は危険がいっぱい その③女性は怖い! [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
このタイトルの最終編です。
性犯罪において、その99%は女性が被害者だと思います。
きょうの体験談は、女性が男のわたしを襲ってきたという話です。
昨日、ゲイに抱きつかれた体験談を載せましたが、
「ぼくも似たような体験をしました」というメールが、数件届きました。
ここから推しはかると女性に襲われている男性も結構いるのではないかと考えます。
では、ありのままを続きを読む欄に記します。
お色気河童 うぶな若者を狙う図
NO,12、旅先は危険がいっぱい その②お客様は神様じゃない! [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
昨日の続きです。
きょうは旅先の宿で起きた4つの事件です。
浴衣を着た男性から2回。おなじく浴衣を着た女性グループから2回も襲われた怖い体験です。
以前から再三記していますように、これはフィクションではありません。
よって、わたしへの加害者がまだ存命で、このブログを見ることも考えられますので、
多少の勇気をもってありのまま書きました。
襲われたというよりも今回の記事は、身から出た錆です。
NO,11、 旅先は危険がいっぱい その①海外旅行と国内旅行 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
旅は、非日常的なものですから、心はリラックス、解放感に浸れます。しかし、ここに心の隙が生じます。9月3日のブログ「あなたは老いてからの物語がありますか」でも触れましたが、旅の途中、米国南部フロリダ州の片田舎で、警官に拳銃で撃たれそうになったことがあります。兄は、おなじフロリダでマシンガンを持った男二人に追いかけられたこともありました。
近頃も比較的治安の良いあのトルコで、卒業間際の女子大生が不慮の死を遂げました。油断大敵です。きょうは、旅先で怖い思いをしたわたしの体験談です。
ご興味のある方は、しっかりと読んで参考にしてください。
以下の2枚の写真は、本文に関連するものです。
カウンターバーのイメージ
危機を救った携帯電話と、襲われた時のふたつの凶器(イメージ)
NO,10、心のなかの高千穂 ③夜神楽(よかぐら) [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
今日は「心のなかの高千穂」最終編です。ただ、このシリーズの①「日之影線車中」でお会いした少女の姓が甲斐さんという呼び名に、なにか引っかかるものがありました。
それは元延岡市出身の代議士で、晩年勝海舟の生き方に学ぶ『海舟会』の主宰者(わたしの師)も甲斐という姓だったからです。高千穂町を歩きますと、この甲斐と興梠(コオロギ)という姓の人に必ず出会うほど多いこともわかりました。
甲斐といえば甲斐の国・山梨県ではないか? 日本人の姓は、土地の名前からとったものがほとんどだからです。九州になぜ甲斐姓が? そこでわたしは、高千穂町の観光課職員山下正弘さんの多大なるご協力を得、この疑問の答えを見つけました。このことについて後日続編を書きたいな、と考えています。
以下の写真については、本文に詳しく書いています。
現在の神楽宿
神庭(こうにわ)
神棚の前に四方を竹としめ縄で囲った四角いスペースがある。
この空間が神楽の舞台となる神聖な場所である。
彫りもの(えりもの)と呼ばれる切り絵と神楽面
NO,9、 心のなかの高千穂 ②刈干切り唄 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
昨日の続きです。
高千穂は、九州のほぼ真ん中に位置する山岳地です。したがって平地はごくわずかしかありません。私が初めて訪れたころは、大半の家が農業でした。
ここには民謡のなかでも特に難しいといわれる「刈干切り唄」があります。この唄は冬の間の家畜の食糧となる柴(草)を刈るときに、互いに掛け合いながら歌う労働歌です。正調刈干し切り唄は今年の全国民謡コンクールでも優勝しました。わたしと友は、半世紀前に優勝した佐藤明翁に教えを乞うため休暇を取って旅しました。
NO,8 心のなかの高千穂 ①日之影線の車中 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
きょうも秋晴れ! 趣味の朝顔は、採種の後半に入りました。在庫84鉢のおうち今も咲いているのは8鉢くらいです。いちばん頑張っているのは、枝垂れの大輪です。今朝も1鉢に8輪も咲いてくれました。
さて、山の話が続いたので、きょうは天孫降臨の地として名高い高千穂に旅した時の紀行文を載せます。
全国民謡コンクールで優勝した老人宅へ『正調・刈干切り唄』を教わりに行った時のお話です。
以下の写真は、後述本文③に関連するものです。
少し長いので ①日之影線の車中、②刈干切り唄、③夜神楽、と3部に分けて載せます。
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高千穂峡
NO,7、山登りの初心者 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
18号台風一過、雲ひとつない青空が広がっています。こんな日は山歩きに出かけたいところですが、たぶん山道は、風倒木で歩きにくい状態だと思います。?
わたしの登山歴は、入社1年目、会社の登山同好会に入会したときに始まります。ですからもう半世紀近くになります。若いときは、岩場にとりつくこともやっていましたが、歳を重ねるうちに嗜好がかわりました。自然のなかで疲れた心を癒す目的に変わったのです。ですからそのほとんどが3、000m以下の山々です。ふらりと日帰りで行く山は、ハイキング程度の低山です。
たとえ低山でも、山は山、危険はつきものですから、きちんとした装備と、準備が必要です。きょうの日記は、あきれた初心者の話です。
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NO,6、山の精霊 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
前回のブログで、登山ガイドをしてくれた不思議な犬のご紹介をしました。このなかで「わたしは過去何度も不思議な体験をしている」と記しましたが、今日は渓流釣りをしているときに、身の毛のよだつ体験をしたことを書きます。
河童、釣り天狗を引く之図
(画:石朋こと暁烏 英)
この絵は、帰宅後に出来事をイメージしたものです。
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NO,5、旅は、ことばのキャッチボールから・・・。 山道を案内してくれた犬 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
道中股旅合羽ひと揃え
9月3日のブログに寄せた新聞の切り抜きをお読みくださった方は、お気づきと思いますが、わたしはかつて観光会社に籍を置いておりました。仕事を通してわかったことは、「旅は、職業として行くものではない」・・・でした。その後の旅のしかたは先の新聞掲載の通りです。
きょうは、もう少し具体的にわたし流の「旅のしかた」を紹介します。題して「旅は、ことばのキャッチボールから」。
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NO,4、月山(がっさん)とわたし [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
羽黒山の摺り衣を着た山伏
山伏が金縁眼鏡をかけているとちょっとサマにならない
月山山頂の夕暮れ 山頂は月山神社
ご来光
高さ1.5mの 残雪が大きく割れているのは東日本大震災の地殻変動でできたもの
(クリックすると雪割れがハッキリ見えます。)
暁烏は、人間が好きです。これは少年のころから変わっていません。
仕事の場を旅の会社に選んだのも、いろいろな人に会えると考えたからです。面接試験で試験官から「きみは、旅行が好きで応募したんだね?」と問われ、「いいえ、人間が好きだからです」と応えたら「面白い。珍しい学生だ」と試験官同士で話し合っていたのを覚えています。
この世の中、十人十色と申します。ほんとうにいろんな人がおりますね。だから人生楽しくて面白いのです。きょうの日記のなかにもいろんな人との出会いを記しています。ご興味がありましたら「続きを読む」を開いてください。
ブログ内容を変えてから第2作目は、ねこのお話でした。猫の話はまだまだたくさんあるのですが、ちょっと小休止して今日は、山の紀行文です。今夏は出発直前に現地が豪雨となり、秋に変更しました。ここに掲げた写真と文は過去の記録です。
庄内平野から吹き上げる風は、峰にぶつかり雲と化す。
月山頂上小屋付近から湯殿山方面を望む景観
※なお、わたしの旅の基本は、9月3日のブログで書きましたように、予定を立てない旅が原則ですが、遠距離のクルージングや、登山は危険が伴いますので十分な工程表を作ってから出発します。真似をしますと、危険ですので、一応申し述べておきます。
NO,3、 2020年オリンピック東京開催決定に思うこと 2013-09-08 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
2020年オリンピック
東京開催決定
おめでとうございます。
今夕、「オリンピック東京開催決定にどう思うか?」 と題してTVの取材を受けました。
人によっては反論もあるでしょうが、わたしは大いに喜ばしいこと、と感想を述べました。人口60余万人という狭い地域社会の中ではありますが、市の「体育協会」理事職として末席を汚している関係もあって、喜びはひとしおです。オリンピックの精神は、国と国とが殺し合う戦争を平和裏に戦わせる一つの便法です。競技ですから当然他者や他国に勝つことが使命です。しかしこのことだけに執着しますと、いわゆるスポーツ馬鹿が増えてしまいます。そこでわたしのスポーツに対するポリシー(考え方)は、「スポーツは、人間形成の一手段」と捉えています。言い換えれば「スポーツを学ぶ」のではなく「スポーツに学ぶ」ということです。
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NO,2、気になる猫を訪ねて [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
この夏、わたしの朝顔ブログにアクセスしてくれた方はどのくらいいたんだろうと「記事管理ページ」を開いてみました。驚いたことに15万人を超えていました。niceというボタンを押してくださるブロガーは、多い日で40人前後、平均すれば、20人程度であるから驚くことしきり。 自分の暇つぶしで、他人に無責任な情報を流したら失礼千万だ、と改めて思いました。
ブログ再開の宣言をして初稿を寄せただけで、すでに4日が過ぎてしまいました。忘れたわけではありません。手元にある日記の数が膨大なので、どれから出したらよいか迷い続けていたのです。紀行文だけを選んで書こうか、エッセイにしようか、詩や短歌を中心に載せようかなどと・・・。いづれにしてもとるに足らない拙文なのですが・・・・。
友人にも相談したところ、紀行文とエッセイがいいとの答えでした。この意見に従い紀行文から始めることにしました。
きょうは第2話、旅先で見つけたねこのお話です。
※なお、Wordで作った文章を「続きを読む」欄に貼り付けますと、へんなマークや白の四角画面が出てきます。いろいろやってみたのですが今回は?マークが出ています。気にせず飛ばしてお読みください。
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NO1、朝顔から中身を変えたジャンルで再開しました。 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
[再開のはじめに]
朝顔のブログに「さようなら」をして今日で3日目、
心機一転、読書の秋にふさわしい、文学的?なものに挑戦してみたいな、と
上段に構えてみたけれど内容が伴わない。
これからご紹介する随筆調?気まぐれ日記は、
地を這う虫の目で観た世間のよしなしごとを綴る拙文です。
「地を這う虫の目」とは、反骨のジャーナリスト故・青地晨先生から学んだことばです。
「空を飛ぶ鳥は、ものごとを俯瞰的に観ることができる。
これも大事なことだが、野火が襲えば身を焦がし、嵐が吹けば、
木の根っこにしがみつく地を這う虫(大衆)の痛みはわからない。
地に足をつけて諸君は虫の目で世間を見つめ、歩め」・・・と。
言い換えますと、これはジャーナリスティック・アイの本質をとらえたことばです。
わたしはジャーナリズムの世界に身を置いた人間ではありませんが、
若き日の恩師の教えが頭から離れず、いまに至ります。
ただ、唯々諾々ではなく、わたしはこれに「トンボノ目」を付け加えました。
つまり複眼的思考です。単眼では視野が狭くなるからです。
当方は、サラリーマンには不適格の人間でした。
一度しかない貴重な人生なのにその大半を犠牲にし、
上司の前でご機嫌取りをし、陰では上司の悪口を言い合う。
決められた日にわずかばかりの給料をもらい、
言いたいことも我慢して定年まで働くなんて奴隷と同じじゃないか、
人間として小さいなあ、と
生意気ながら世間を斜めにとらえ生きてまいりました。
渡る浮世のなかで、その時々に発生する疑問や好奇心に対して、
「いつやる? いまでしょ!」と自問自答しては、
知行合一を何十年も続けてまいりました。
「いまでしょ?」 は、某進学塾講師が言い出した今年の流行語のようですが、
けして新しいものではありません。
半世紀もまえにわたしはこのことばに出会っています。
道元禅師の教えを綴った『正法眼蔵』のなかに
「而今」ということばを見つけたのです。
至極の名言と理解しました。
このような人生観から、コトの良し悪しはべつにしてその
「時々の今」を大切に過ごしてきたつもりです。
その実体験をもとに書いています。
中には「ホント?作り話(フィクション)でしょ?」と
疑う方もいらっしゃることと思います。
しかし、わたしが歩んできたものは、ノン・フィクションジャンルです。
「書く素材は自分の足で稼げ!」と学びました。
昨今の暁烏の読書量は全盛期の半分くらいで、
いまは単行本に換算して年間150冊前後と落ちました。
目力の衰退はものすごい速さで進んでいます。
目だけでなく今までに13回の外科的手術、
加えて2度のがん手術の後遺症や現在休止中(進行していない)の癌と
共存生活を送っておりまして体はもうボロボロです。
でも心は毎日がハレですから悩むことはありません。
が、自身の目が見えているうちに記録に残してゆこう
という思い入れもこのブログにあります。
さて、前置きはこれくらいにして、内容を変えたブログの初稿
『あなたは老いてからの物語がありますか?』を
「続きを読む」欄に掲載いたします。
ご興味のある方は、開いてみてください。
最後に勝手ではございますが、一行で結構ですので、
読後感(コメント)をお寄せいただければ幸いです。