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NO.21 旅の職人 その⑦ 贅沢な旅とは・・・。 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]

過去のblogで「わたしの仕事としての旅は、

いつも大名旅行(贅沢な旅)だった」と書きました。

旅の目的は人それぞれですから、贅沢な旅でも、

シンプルな旅でもその人の価値観に合っていれば、

満足できることと思います。

自分の観光会社への入社動機は「旅が好きだから」ではなく、

「多くの人と接することができる楽しみ」でしたから、

その内容(交通手段や旅館の良し悪し、料理の良し悪しなど)には、

こだわりがありませんでした。むしろ旅そのものを客観的に捉えていました。

数年して、旅は職業としてするものではないことに気づきました。

そしてもう一つ・・・・。

これこそが旅の本質と気づきました。

CIMG0358-2.jpg
影の二本足が暗示するもの

ご興味のある方は続きを読む をクリックしてください。

 その⑥ 贅沢な旅とは・・・・。


 
高度成長期に育った者は、余暇の時間は少なかったけれど経済的にはゆとりがあった。このゆとりは、マイカーブームを呼び、人は電車やバスの旅行から、カードライブとしゃれ込んだ。そんな頃わたしの余暇は、25,000分の1の白地図を手にリュックサックを背負って東海道や奥の細道を自分の足で歩いていた。(関連記事:NO.1, 9月3日のblogに添付した新聞記事参照)
 

 箱根の峠道を歩いているときだった。行楽シーズンだったので、道路は渋滞して車は動かない。その脇をわたしはテントをはじめ野営道具一式を背負ってテクテク歩いていた。そのうち家族づれの車の中から、こんな声が聞こえてきた。「あの人、車がないから重い荷物を背負って歩いているんだろうね。かわいそうだね」
 ほとんど動かない車列を左に見ながらしばらく歩くと、ドアーを少し開けた車を追い越した。追い越しぎわに車中を見るとたばこを吸う三人の男が乗っていて、車のなかは煙が充満している。その中の一人が「がんばれよ~」とわたしにエールを送った。社交辞令でこちらも微笑み返しをしたのではあるが、内心では、「きみらこそ煙のなかでがんばれよ~」とエールを送った。
 

 旅は、日々の生活や仕事で窒息しそうな現実から逃れて心身をリフレッシュすることであろう。旅は、機械文明のなかで失われた人間性を回復する手段でもあるはずだ。しかしそれは、それはあくまで「自分の足で歩く旅にして可能なのだ」とわたしは思っている。これは旅を職業にして旅烏の末に気づいた結論なのだ。

 この地球上に人間が二足歩行して約50万年。以来ずっと自分の足で歩いてきた。その後、中世から江戸期にわたり一部の特権者は、輿に乗ったり(貴族)、馬に乗っていた(武士)。明治維新以後、列車やバスが登場したけれど、庶民の、いや日本人の大多数が二足歩行をして旅をしてきたのだ。その歴史の末端(現代)で、人は車に乗ることを覚えた。

 自分の足で土を踏み歩くとき、わたしたちは自然のなかの人間に戻れるものと考える。これは理屈ではない。実際に歩いてみるとよくわかる。車に乗っての旅に人間性の回復は無理である。冒頭の箱根路で見た光景がそれである。鳥かごのような狭い空間の中に閉じこもって窓外の景色を眺めるとは、誠にみみっちい旅である。運転者は事故防止のために四方八方に目配りし、緊張の連続で疲れ果てる。一方こちらは、遮るもののない広い自然空間のなかを歩いている。青空も見えれば、深い谷底も見える。360度の視野のなかで歩いている。こちらのほうがずっと優雅な旅をしているのだが、彼らにはわからない。
 

 民俗学の権威、五来 重先生のことばを借りれば「人間は、自然という空間の座標と、歴史という時間の座標の上で人間性を回復する。それは“歩く旅”で初めて味わうことができる」と喝破している。まことに同感である。
先生はまたこんなことも述べている。

日本の文化は、「座る文化」と「乗る文化」と「歩く文化」に分けることができる・・・・と。
 「座る文化」は、貴族文化で、搾取の上になりたつ怠惰で不健康な文化。深窓にくりひろげる優雅な生活は、一見洗練された繊細な美のようだが、実際には怠惰と、好色と、陰険な権勢欲に満たされていて、源氏物語のような貴族文学は、すえた臭いがする。働く庶民の野生の方がはるかに美しい」と言い、続けて
 「貴族も陰湿な座る文化に風穴を入れるべく庶民の真似をして旅をした。しかし、京都の“葵まつり”のように手輿のようなものを利用していて自身では歩いてはいない。牛にひかれた物見車などは、簾(すだれ)の間から外を窺うみみっちいやりかただった。武士も馬に乗ることで権威を誇示した。このような「乗る文化」は現代のマイカー観光客に共通した、歩く者を見下す怠惰な優越感があるからではなかろうか。」・・・・と。これまた同感である。

 これに対し、庶民文化はもっぱら「歩く文化」である。長い間庶民は草鞋で旅をした。さきほどわたしは「歩いたものでしかわからない」と書いたが、歩いていると不思議なことに生きる喜びのようなものが沸々とわいてきて創造力というのか創作欲というのか、今までに考えついたこともないアイディアが次々と浮かんでくるのだ。西行、芭蕉、小林一茶、山頭火たちはこの歩くことによる前頭葉の活性化から数々の文学作品を産んだのではないだろうか。歩くことは、土地土地のたくさんの人と出会いがあり、名もない人たちの何気ない生活や風習のなかから新たな発見もできる。同時に他人からの学びがある。

 むかし、山伏や、遊行僧は、山野をかけめぐって自分を磨いた。任侠の世界も同じである。明治、大正のころまでは「順立」といって、自分の所属する一家から離れて2年から3年、他の一家へ紹介状をもらいながら転々とわたり歩き、客分として世話になりながら、己を磨く旅をした。一人前の侠客になるための修業である。裏社会でも「歩き」が基本であったのだが、今は任侠の世界も派手な外車を乗り回すようになってから、任侠を忘れ単なる暴力団へと変身してしまった。

 一般に旅行といえばその対象となるのは、名所旧跡、景勝地などに限られる。旅行のパンフレットや旅の案内本をみると、一様にポピュラーなものしか載せていない。このため、そこに旅行者は殺到して道路を渋滞させ、自然を壊し、歴史を踏みにじる。

 わたしの旅は、歩くことを基本とし、行く先々の人とことばのキャッチボールをする。そこには現代人が忘れてしまった庶民の歴史が息づいている。電車に乗る場合は、鈍行を重視する。ここで出会える人たちは、商業主義に乗って旅人に媚びるようなことはしない。都会人が失ってしまったごく平凡な日常の風景がそこにあり本来の人間の生活が残っている。

 はなしが抽象的になったが、「大地を踏み歩く旅」こそが本当の贅沢な旅だとわたしは思っている。
機会があったら、そんな旅で出会った人間模様を書いてみたい。

 仕事では乗り物が航空機やグリーン車利用で、ホテルは一流といった大名旅行ばかりしていたが、これに疑問を感じてわたしは旅行会社を辞めた。しかし、以後もわたしだけの「贅沢な旅」は休むことなく続けている。

[後記]
10月中旬、3067mの山に登り体調を崩し、病院通いの日々。ここ数日blog投稿をさぼっています。次回は、ジャンルをかえて気軽な猫の話でも書こうと思います。


タグ:紀行文
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谷津ひろし

 体調の悪い中でのブログありがとう。

旅の目的 手段 文化 歴史 ・・・勉強になりました。

 人間大好き英さん、多くの人との交流の楽しみ・・・よく分ります。

 旅で出会う人間模様、いく先々での人々との話し・・・いいですね。

一人旅、仲間 家族 歩く 乗る 泳ぐ 7ツ星ホテル 高級旅館

 宿屋 テント 寝袋 自炊 ・・・・色々な旅をしたい。 
by 谷津ひろし (2013-10-30 07:39) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

高度成長時代、車で良く旅行をしましたね。
旅行本などで、目的地を決めて行ったものです。
渋滞も旅行の一部と思って。。。。
しかし今は、交通機関を使った旅。。
道中の途中のプロセスを楽しみながらの旅も
オモシロイものです。
時間は掛かるけど、いいもんです。
年と共に、旅のあり方が変わってきます。

by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2013-10-30 10:44) 

mimimomo

こんばんは^^
どんな旅でも好きなわたくし(^^
歩くのも好き、乗るのも好き・・・何でも見て何でも聞いて、人生を楽しみたい。
ところで3039の山って何処かしら。探しても分からなかったです。
お体お大事に。
by mimimomo (2013-11-03 19:12) 

beny

 今年は私は旅づいています。とは言っても自堕落旅行の東南アジアばかり(笑)ですが。そこで気づいた事は、日本と比べるとどうしても後進国だという観念が付きまとう。小銭を持っているという優越感とともに鷹揚に構えている自分。相手の方は金満でお人好しの日本人、なんとか金をせびり取ろうとしている。
 旅を通して、自分のセコサ、間抜けさが身に染みました。
どこかの社是ではありませんが、「八方に気を配って一分の隙もあってはならない」。まだ旅は続く。ぼけてなんかいられません。
 

by beny (2013-11-03 20:15) 

チョビ

山は怖いですね・・・どうぞお大事に

歩くの大好きです^^
iPhoneに自分の位置が分かる地図がついて便利になりました
外出先、どこからでも歩いて帰る道が分かります(笑)
1時間くらいなら徒歩で帰ってきます
歩くと気血が巡ってさっぱりしますよね(^^)

昔、室生寺に行ったことがあるのですが
電車を降りたら山や木々の雰囲気がとてもいいところだったので
バスに乗るのはもったいない、歩いて登ろう、ということになって
歩いたんですが・・・思ったよりも遠かったんですね・・・
ちょっと失敗したかな~と不安になってきた頃
通りすがりの車がもどってきて
「あんたたちどこ行くの」
「・・・無理だよ、乗りな」
お寺まで送ってもらったことがあります(笑)
by チョビ (2013-11-03 23:26) 

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