年末の東京夜景クルーズ [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
ここ2、3日クリスチャンでもない日本人が、
商業ベースに乗せられ、やれケーキだ、プレゼントだ、パーティーだと騒いでいる。
日本の文化、日本人のアイデンティティーはどこへやら・・・。
24.25の二日間で賀状書きはすべて終えました。
年賀状を出す習慣は、日本の伝統文化です。
賀状を書きながら感じたことは、パソコンを使っても体力的に作るのが辛くなったこと。
もう一つは、友人知人が少しずつ他界してゆくため、出す枚数が少なくなったことです。
ピーク時は600枚から700枚近く出していたのに、今回は324枚と半数近くになりました。
絵を描くのと同様、疲れたので気分転換に友人の船で東京港の夜景を観に行きました。
友人夫妻は、盛装で出迎えてくれました。ほかに乗客はいません。
貸切きりの豪華ボートで観る東京夜景は夢の世界です。
カメラがコンデジなのであまりいい写真とは言えなませんが載せてみます。
◆
タグ:東京夜景
牛久沼の河童とわたしの河童 [旅紀行]
山歩きの同好会で冬の茨城県牛久沼を訪れた。
現在、牛久といえば大相撲の横綱・稀勢の里と大関・高安が有名だが
幕末に生まれ明治・大正・昭和にかけて活躍した
俳人で画家の小川芋銭が住んでいたところだ。
現在、牛久といえば大相撲の横綱・稀勢の里と大関・高安が有名だが
幕末に生まれ明治・大正・昭和にかけて活躍した
俳人で画家の小川芋銭が住んでいたところだ。
小川芋銭
雲魚亭(芋銭の住居兼アトリエ)まえの説明板
かれは多くのかっぱを描き、「かっぱの芋銭」と呼ばれた。
なかでも『河童百図』はつとに有名である。
ここ牛久沼には、芋銭が河童の絵を描く前からたくさんの河童伝説があった。
なかでも『河童百図』はつとに有名である。
ここ牛久沼には、芋銭が河童の絵を描く前からたくさんの河童伝説があった。
なぜか文人のかっぱ図は意外に多い。※
芥川龍之介画
武者小路実篤画
今回牛久のあちこちで見かけた河童のモニュメントは
どれも同じポーズのものばかり。
筑波下ろしの寒風を背中に受け
一様に寂しげであった。
どれも同じポーズのものばかり。
筑波下ろしの寒風を背中に受け
一様に寂しげであった。
牛久駅前のモニュメント
河童の碑
沼の畔で物思いにふける河童像
三日月橋生涯学習センター前にある「牛久市観光あやめ園」の河童親子。
小川芋銭の『河童百図』や『河童三十二態』にみる河童はもっと下図のように陽気であるのだが・・・
後世の芸術家の作ったモニュメントには動きがない暗いイメージ。
後世の芸術家の作ったモニュメントには動きがない暗いイメージ。
芋銭のキュウリをねだる河童。わたしの好きな1枚
自分は文人ではないが暇つぶしに100枚くらい河童を描いている。
そのなかの4つほど載せてみる。
そのなかの4つほど載せてみる。
飲みすぎ河童
かっぱ古事記 『岩戸の舞』
この絵は、第42回「墨の県展」で「議会議長賞」をいただいた作品の
構想段階で描いたもの。
※河童の絵を描いた文人:芥川龍之介、泉鏡花、武者小路實篤、折口信夫、宇野浩二、伊藤整、平林たい子、尾崎士郎、河盛好蔵、青野季吉、石川達三、井伏鱒二、草野心平、亀井勝一郎、尾崎一雄、小林秀雄、火野葦平・・・・・実に多い。
タグ:河童