河童は今も生きている?・・・ [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
早いもので一昨日から大相撲初場所が始まった。
期待の横綱稀勢の里は早くも2敗。
四股名のせいだろうか。
横綱になったとたん稀にしか勢いがでない。
稀勢の里の故郷は牛久市(茨城県)である。
牛久には水戸街道沿いに河童の指のような形をした沼があって
昭和の初めまでここに
「絵を描く芭蕉」といわれた小川芋銭(うせん)さんが住んでいた。
かれは自然を愛する人で、俳句や書にも長けた画家だった。
なかでも『カッパ百図』は、とくに有名である。
芋銭の河童図
半世紀前、『橋のない川』の著者・住井すゑさん宅を訪れた際、
近くにあった芋銭記念館『雲魚亭』に立ち寄った。
このとき「百図」のなかの1枚に釘付けになる。
それは明治39年、波崎(利根川をはさんだ銚子港の川向こう=茨城県神栖市)の
漁師二人※が鰻漁の最中に船べりにたたずむ河童を実際に見たとのこと。
それを聞いたある人が
二人の目撃談を参考に河童の絵を描いた。
更に芋銭がこの絵を参考に描いたという1枚(下図)である。
この絵を見て以来、いつか自分もこの目で見てみたいと
思い続けてきた。
生きてる間にと、このたび利根川の河口に近い笹川へ探しに行く。
出会ったのは、河童ではなく、
友だちのような枯れすすきばかり。
で、場所をもっと河口寄りの銚子港近くに移すと、
いまもいた、いた! 大感激!。
なんと村まであるのだ。
以下、河童村のみなさん。
あらたに5月の「墨の県展」用に年明け一気に26匹ほど描いた。
制作中の部分画
こんなわけでブログ更新が後回しになってしまった。
稀勢関同様、稀ではあるがブログ更新に1時間ほど勢を注いでみた。
※二人の漁師とは:篠塚平五郎と篠塚仁助の両名。余談ですがこの地区には篠塚姓が多い。かつて読売ジャイアンツの天才バッター・篠塚和典(登録名は利夫)選手も銚子市育ち。
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