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幼馴染の母親 [長く生きてりゃ・・・]

年に一度の楽しみが雨で台無しになってしまいました。

花見のことです。

雨の合間に近所を歩いてみましたが、灰色の空では

絵にならなりません。

花芯が赤みを帯びてきたので今年は

人に愛でられる期間は少なく、

野鳥やミツバチたちには満腹感を与えられないまま

散ってゆきます。


雨の日は、もっぱら墨絵描きと読書三昧です。

気分転換に自室書架の整理をしようかと眺めると

どうしても捨てられない小冊子が目につきました

題名は『よい子らショッ』<昭和56年4月発刊:非売品>です。

1表紙.jpg

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本文書き出し


これは船橋市の知的障害児通園施設「藤原学園」の園長を務めた

相川よしさんが退任記念に著した自主出版本です。


この冊子の「あとがき」に、

よしさんの人と成りをわたしは寄稿しました。

きょうは、こんな逞しい女性が身近に居たということを

ちょっと紹介したく思い、拙文ではありますが続き欄に転載します。


はじめに

藤原学園は、昭和36年6月

千葉県で二番目に開設した公立の知的障害児通園施設として

中山競馬場近くの船橋市藤原町で発足しました。

相川よしさんは、この施設の第4代園長です。

ご本人の回顧録は、長くなりますので「あとがき」に述べた拙文で

勘弁してください。

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執務中の相川よし園長


<『よい子らショ』のあとがき>


 ぼくは、相川よし園長を「おばさん」と呼ぶ。竹馬の友・征夫君の母親だからである。征夫君とぼくの出会いは5歳の時と記憶する。そのころぼくの家族は、藤原学園(当時は法典小学校)の前の小路を少し入ったところに住んでいて、相川家は、そこから農家の庭伝いに歩いて3分くらいのところにあった。

 ぼくらは単に家が近いという理由以外に親同士(かれの父と、ぼくの母)が法典小学校の教師という家庭環境も重なって、就学前から互いの家を行き来し今日に至っている。そんなわけで相川よしさんは、ぼくにとって藤原学園の保母や園長ではない。友人の母親、4人の子を持つ母親、そして逆境にめげずに逞しく生きる一人の女像なのである。

 おばさんが相川家にお嫁に来たのは確か昭和29年の春で、征夫君が小学校6年生になったばかりの時だった。かれには兄と2人の妹がいる。このとき兄さんは中学1年、妹さんは小学2年生と1年生だった。つまりおばさんは相川家の家長・三蔵氏の後添いとして嫁入りしたのである。

 当方は今、自分のこども1人育てるのに四苦八苦している。ましてや先妻のこどもを4人も抱えての新婚生活は並大抵のことではなかったかと拝察する。一方、こども達にとっても生みの母親が急逝して7か月目の時だったから、新しいお母さんのまえで戸惑い悩むことも多かったに違いない。

 翌年の12月のことだ。今度は相川家の大黒柱三蔵氏が突然亡くなった。子供たちにとってもおばさんにとっても実に悲しいクリスマスであった。

 世の中に母子家庭はたくさんある。しかし、そのほとんどは実の親子で結ばれている。相川家のケースは万に一つの例ではなかろうか。嫁いで1年9か月めから先妻の子4人を育てる生活が始まったのである。

 ぼくはおばさんを知って27年になる。が、一度たりとも愚痴を聞いたことがない。ぼくらが相川家で遊んでいるとき、傍らでいつも毛糸編みをしていた。定年をまぢかに控えたいまのおばさんは、わが子のようにかわいがっている猫の舞子ちゃんを膝に乗せながら、園児の父兄からかかってくる悩みごと電話相談に応じている。状況は変わったがおばさんの力強い笑い声は、むかしも今も変わらない。

 つい先日のこと・・・「まもなく引退なんですねえ、いろいろ苦労しましたねえ」と言ったところ、「あ~らイヤだ、わたしはのんき者だから苦労なんて・・・」といつもの大きめの声で笑った。そしてこう続けた「ここまで来れたのも友人や親類の人たち、それにこどもたちがみな良かったからよ」と・・・。

 おばさんは、38歳の時に20歳前後の娘さんたちに交じって保母の資格試験を受けた。実技試験の跳び箱では、神経痛で腰が痛み辛かったそうだ。

 三蔵氏との生活1年8カ月の間に、おばさんは自分の子を宿した。夫は「生め」と勧める。なのに彼女はかたくなに拒絶した。「わたしの子を生めば、今いる4人の子たちに対するわたしの愛も、子供たちのわたしへの愛も薄れてしまう」という理由からだった。その4人のこどもはいま立派に成長して、それぞれの道を歩んでいる。特に長女・澄子さんは千葉市内の知的障害児童施設でおばさんと同じ道を歩んでいる。

 適切な表現ではないが、おばさんは家にあっては26年間、外にあっては通算20年間、保母を通した逞しい女なのである。彼女の夫が生前教鞭をとった小学校の跡地(現・藤原学園)で、おばさんは園児とともにつつがなく20年を過ごした。奇縁である。

 何年も前から彼女は毎日欠かさず2本の線香を仏壇にたてる。ある日その理由を尋ねたことがある。その答えは、「これはね、1本は亭主。もう1本は、こどもたちの母親の分なのよ」だった。

退任後のおばさんに幸多かれと祈る。

1981年3月

暁烏英

<備考>

 上記は当方38歳のときの拙文ですから、相川よしさんはすでにこの世に居ません。藤原学園も他所に移り今はありません。いま読み返してみると「ぼく文」「おばさん文」なので恥ずかしい文体です。しかし、相川よしさんの人と成りは、多少伝わったかと思います。

 幼馴染征夫君は、新潟県村上市でふたりの娘さんとお孫さんに囲まれながら平穏な余生を送っています。

[サッカー]



タグ:逞しい女性
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Take-Zee

こんにちは!
桜や梅は背景が青空でないとさえませんね!
by Take-Zee (2023-03-27 09:48) 

yoko-minato

たくましくて愛情あふれる女性がいらしたのですね~!!
1年数か月の婚姻で夫を亡しましたのしましたの生き方は一言で
素晴らしいと言ってしまうことは出来ませんよね。
こういう人がいらっしゃることに感銘しました。
by yoko-minato (2023-03-27 10:38) 

mm

こんにちは^^
立派な方ですねぇ~ わたくしも継母に育てられましたが、子供のころ、若い頃のことは思い出したくないです。
by mm (2023-03-27 12:29) 

Boss365

こんにちは。
小生地域も週末は「灰色の空」で絵にならない天気、残念な桜風景でした。
「よい子らショッ」洒落がきいたタイトルですが・・・
相川よし園長、気概ある方、それを微塵も見せない姿、素晴らしい女性ですね。
また、長女・澄子さんも意思を受け継がれ、背中をみて育った感じです。
「2本の線香」も感慨深いです。
「相川よしさんの人と成り」伝わっています。
また、いい話・素敵な話で後世に伝えたいですね!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2023-03-27 13:45) 

いろは

こんにちは^^
素晴らしい女性の生き方、感銘を受けました。
ご自分のお子さんを産みたかったでしょうに。
私は父が再婚をして弟が出来ました。18歳離れた弟です。
でも今はしっかりと家を守ってくれています。
二度目の母にとっては良かったと思います。
初めての男の子で父も嬉しかったと思います^^
by いろは (2023-03-27 15:44) 

侘び助

とてもいいお話を伺いました。 もう遅すぎますが後少しの日々を
人様に喜ばれる事が出来るように暮らしていきたいと思います。
by 侘び助 (2023-03-27 16:57) 

kiyotan

強くて思いやりのある心の広い方ですね
そうなりたいと思ってもなかなかなれません。
町で見かける子供たちをかわいいと思ってみて
います。時には話しかけてみたいなって思ったり。
by kiyotan (2023-03-27 17:28) 

夏炉冬扇

南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2023-03-27 21:22) 

OJJ

涙涙涙・・。人は本当に苦しい時にこそ本当の力が、本音が出るんでせうか  合掌
by OJJ (2023-03-27 21:30) 

せつこ

おはようございます^^
なんか~~考えさせられる、とても良い本です。
苦しいような、悲しいような、人を思う優しさ、置かれた立場になって見ないとわからない問題ですね。

by せつこ (2023-03-28 06:35) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

Boss365さん
「・・・後世に伝えたいですね」とお書きになりましたが、仰る通りです。このブログには載せていませんが、本冊子には<追記>として載せた一文があります。次のようなものです。
「ご本人が『照れくさいからやめて』と何度も言った。しかし、どうしても書かずにはいられない衝動にかられぼくは無礼を承知であえてペンを走らせた。本人の文には書かれていない相川よしさんの人間味あふれる側面を関係者の皆さんと後進の人たちに知ってほしいと思ったからである」・・・これが寄稿の動機なのです。

by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2023-03-28 10:22) 

Boss365

こんにちは。再訪ですが・・・
素敵な追記あり、寄稿された暁烏 英さん、あっぱれです。
相川よし園長は照れながらも喜んでいると思います。
また、竹馬の友・征夫さんも感激・感謝したと思います!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2023-03-28 23:05) 

横 濱男

今年の桜は、曇りや雨が続いてますね。。
桜は青空が似合いますから。。
by 横 濱男 (2023-03-30 09:12) 

achami

地元のお祭りも、ほぼ全て中止だったようです。
皆さん、ガッカリだったでしょうね〜。
また、来年・・・
by achami (2023-03-30 22:13) 

プー太の父

とても素晴らしい「あとがき」で感動しました。
たくましくて明るい方だったのですね。
by プー太の父 (2023-04-02 15:26) 

向日葵

凄い方(いろいろな意味で)だったのですね。。

by 向日葵 (2023-04-03 02:36) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

mmさん
辛い思い出だったんですね。
わたしの母の場合は、12歳のときに両親がいなくなり叔母に育てられました。父親が近衛兵だっため家を空けることが多く、その留守中小姑たちにいじめられたのか耐えられなくなって実家に戻ってしまいました。乃木希典将軍の姪っ子という人が女中さん付きで継母としてやってきたのですが、この女性もすぐに実家へ戻ってしまい、弟と別々に親戚に引き取られ、辛い幼少期を過ごしたようです。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2023-04-03 19:33) 

せつこ

おはようございます。
この歳になって精神的悩みの無いことが、「宝だ」と実感してます。
by せつこ (2023-04-04 01:49) 

yokomi

消えて行くのはとても勿体ない話ですね。とにかく、拒絶したおばさんの決意に感銘(T_T) ちなみに私は3番目の妻の子ですが、兄より優遇された記憶は有りません。
by yokomi (2023-04-09 23:43) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

yokomiさん
辛かったでしょうね。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2023-04-11 10:36) 

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