今が見ごろの富士山 [旅紀行]
so-net blog書き込み画面のトラブルで1週間以上更新できませんでした。
原因は、「So-netブログ」側のシステム不具合でした。
昨日やっと正常に戻り、一安心です。
この10日間、山仲間の楽しい新年会、
市の文化団体・スポーツ団体等の合同賀詞交歓会、
ディンギーヨット仲間の新年会などが続き、相変わらず忙しい毎日でした。
さて、今は寒の真っただ中、外出も面倒な時季です。
しかし、冬でなければ味わえない楽しみもありますから
このチャンスを逃がすのはもったいないことです。
冠雪の富士が一番映える季節です。
21日11時ころの富士
そこで富士の絶景を眺めに小さな山を訪ねました。
吾妻山です。
たった136.2mしかない小山ですので、お年寄りも幼児も楽に登れます。
高さはありませんが、ここは富士を中心に、丹沢山系、大山、
金時山・駒ヶ岳など箱根の山々が一望できます。
目を左に転じれば、
紺碧の相模湾がまばゆいばかりの光を放っていてじつに眺めのいい山です。
しかも、JR東海道線二宮駅(大磯の隣駅)前にあるので実に便利です。
急行は停車しませんが、東京から普通電車で約2時間です。
以下足跡をビジュアルでご紹介します。
山道は、いま水仙と寒椿が咲き誇っています。
頂上からの眺め。 菜の花の向こうに富士が・・・。
縁結びの吾妻山神社 河津桜がほころび始めていた。
海を見下ろす湘南の住宅街
下りは別の山道を通って国道1号線とバイパスの下をくぐり海岸へでました
夏、にぎわった地引網船は、シートをかぶってひっそりと・・・。
海岸を歩くと1,5mほどのサメの死骸が・・・
冬の海は、プランクトンが少ないので澄んでいる
再びバイパスをくぐり抜け知足寺に向かう道すがら見た吾妻山(山というより丘のようだ)
知足寺。 ここに日本三大仇討[晴れ]のひとつで有名な「曽我兄弟」とその姉の墓がある。
来週の日曜日からここで「吊るし雛」が展示される。
◆
墓参りに来ていた人が言う。
「あなたも仇討ですか?」と。
「ハイ! 2.3人討とうと思いやってきました」
冗談で言ったのだが、「ほう、たくさんいますな、で、どんな方法で?」
若いころ「マシンガンの英」と呼ばれた私だが、これには参った。
曽我兄弟と、その姉のお墓
帰路の橋から見た背開き?の鯉(生きてます。泳いでいました)
日本3大仇討:1.曾我兄弟の仇討ち 2.鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう) 3.赤穂浪士の討ち入りの3つをいいます。 (詳しくは続き欄を参照ください)
◆◆◆
仇討(あだうち)とは?
仇討とは、復讐のことですが江戸期の仇討(私刑)は制度化されていたので合法です。討手と仇人は恨みっこなしが原則です。ただし勝手に切り殺すことはできませんでした。厳格なルールがあったのです。たとえば討手は、まず自藩に仇討願いの届出をする。その理由をお上は評議し、これが認められると他藩に仇人を追って移動するための許可証が出ます。これを持って仇を追うのです。仇討が成功した時、討手は捕縛されるのですが、役人が帳付を照合し、これは「届済みの案件」と認められれば、放免される。子供が親の仇を討つのは認められますが、その逆はダメ。また、女子供には仇を討つ力がないので「助太刀」が認められます。明治6年に仇討禁止令が出ましたが、日本最後の仇討は、明治13年に起きた「臼井六郎仇討事件」です。この人は、山岡鉄舟に剣術を教わっています。
また、江戸末期、北は択捉から四国、九州、対馬まで40年もかけて仇討を果たした武士もいます。その人の名は久米幸太郎。討たれた人の墓は、石巻市の洞福寺にあります。
日本三大仇討について
(1)曽我兄弟の仇討:1193年(建久4年5月)
曽我兄弟の父、河津三郎祐泰は伊豆の伊東で工藤祐経に暗殺され、兄の曽我十郎祐成、弟の曽我五郎時致は武士道の面目にかけて仇討の達成を念願した。、源頼朝が富士山麓を舞台に大巻狩を催し最後の狩場として白糸の滝付近に陣を構えた。工藤祐経の陣は音止の滝の東方にあり、兄弟はこの夜、松明を手に幾つもの木戸に防げられながらも、ついに仇討ちを成し遂げた。しかし、兄は新田四郎によって斬殺され、弟も捕えられ、翌日処刑された。
(2)鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)1634年(寛永11年11月7日 )
岡山藩主・池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫に、藩士・河合又五郎が横恋慕。関係を迫るが断られたため源太夫を殺害した。源太夫の兄・数馬は剣豪の荒木又衛門に助太刀を頼み逃亡中の又五郎を伊賀道中の鍵屋の辻で待ち伏せ打ち取った。このとき、敵十数人に対し、渡辺方は4人で討ち取ったため評判になり、以後この一件で”仇討は武士の美学という観念が成立し、江戸時代以降仇討が急増した。
(3)赤穂浪士の討ち入り 1703年(元禄15年)
「忠臣蔵」として有名な、日本史上最高最大の仇討ち。
播州赤穂藩主の浅野内匠頭が、高家旗本・吉良上野介に馬鹿にされたとして対して江戸城内において刀で斬りかかった事件。浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で即日切腹となり赤穂藩は改易となった。
遺臣である大石内蔵助以下赤穂浪士47名(内1人は途中脱退)が翌15年1703年1月30日深夜に吉良屋敷に討ち入り、主君が殺害しようとして失敗した吉良上野介を家人や警護の者もろとも殺害した。
この討ち入り行為を義挙として町民からは喝采を受け、江戸城内にも賞賛する者が多かった。しかし喧嘩両成敗がセオリーのため、彼らの助命はかなわず、全員切腹となった。
◆
トラブルが解消してよかったですね。
東京湾の海が澄んでいますね(^_^;)
でも寒さに負けて撮影がゆっくりできないです。
今は仇討はなさそう・・・
by green_blue_sky (2017-01-24 22:24)
菜の花ももうこんなに咲いているのでやすね!
春でやすなあ!
by ぼんぼちぼちぼち (2017-01-25 11:40)
コメントを読ませて頂きましたが、歩いているときに胸が苦しくなったりするのは冠攣縮性狭心症が考えられます!
僕の場合は既に狭窄した部分があり、少し激しい運度で冠攣縮性狭心症が現れるのかとも思われましたが、運動性では無く狭窄していたのでカテでステントを入れて狭まった血管を広げました!
冠攣縮性狭心症かはカテーテルで検査をしないと判らないのでなんともいえませんが、循環器やCCUがある病院で調べて貰うのも一つだと思いますm(__)m
by ma2ma2 (2017-01-25 20:52)
ソネットのトラブルでは皆さんが迷惑をこうむっていましたが何にも云わないままなんですね。
お詫びの一言が有ってもいいと思いますがね。
by 馬爺 (2017-01-25 22:31)
おはようございます。
so-netのトラブルは気が
搗きませんでした。
皆さん書かれていますよね。
今は正常に戻ったのですね。
どういうことなのでしょうね。
by yoko-minato (2017-01-26 07:16)
おはようございます^^
ここには何度か登りました。何故だかほとんど菜の花の時期。桜の時期に行ったことがないです。でもその時期にこのお山は暑いのかも^^
海も綺麗ですね。
by mimimomo (2017-01-26 07:21)
富士山・美しいですね^^
鯉さん・・・半分解凍されている様に見えますね。
by 侘び助 (2017-01-26 12:57)
馬爺さん
当方には、お詫びのメールが届きました。メールで問い合わせをしたからだと思います。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2017-01-26 16:42)
雪化粧の富士と菜の花、絶景ですね(*^▽^*)
so-netブログのトラブル、私はRSSが更新されないだけでした。
今日になって解消されたようです。
by ゆきち (2017-01-27 21:10)
サメに、南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2017-01-28 21:53)