シッポのない狸 [人生とは死ぬまでの暇つぶし?]
狸を描くには、
大小合わせて丸い輪を34個、それにX印と太めの楕円が各ひとつずつあれば
出来上がります。
この愛嬌のある動物は、民話や童話にたびたび登場します。
人をだましたり妖怪になったり、化けることが得意ですが、
どこか間が抜けている。
ここが人間に愛される所以でしょうか。
先日も間の抜けた狸を見ました。
あるべき尻尾がないのです。
證誠寺の「狸まつり
狸のおまつりは、全国に3つある。
7月中旬から8月にかけて行われるのが札幌の狸小路の「狸まつり」。
11月1日から3日間開かれる徳島阿波の「狸まつり」は
30万人以上の人が集まる。
その中間に催されるのがこのたび訪れた千葉県木更津市にある
證誠寺の「狸まつり」だ。
他市の二つと比べると1日限りのこじんまりしたお祭りである。
證誠寺の狸伝説は『分福茶釜』(群馬県館林市)や
『八百八狸物語』(愛媛県松山市)と並び、
日本三大狸伝説のひとつとされている。
10月18日、野次馬根性から、カメラ片手に訪れてみた。
寺名の「證誠寺」と、童謡の「証城寺」、発音は同じでも文字に違いがある。
このことに気づかない人が多い。これにはちょっとしたエピソードがある。
その真相について、本年2月7日のブログに詳しく載せたところ
びっくりするほど多くの反響があった。
いきさつはどうであれ、今回の訪問には、童謡の作詞家・野口雨情が
この寺でどのように扱われているか?をちょっと知りたかった。
もうひとつは狸供養なるものと、狭い證誠寺の本堂や境内で狸は
どのように踊るのか? またその踊りに民俗芸能的価値はあるのか?
・・・・・・に興味を持ったからだ。
当日は、日本最大級とうたった「木更津イオン・モール」の
オープン日に重なったためか寺は期待したほどにぎわってはいなかった。
寺の駐車場では檀信徒の婦人たちによる地産の野菜や団子などを売る
バザーが開かれていた。
妙齢なご婦人に「たぬき汁ありますか?」と尋ねたら
「甘酒ならあります」という。ジョークが通じない。
「でも、あの木の下で、どんぶりの汁らしきものをすすっている
和服のご婦人が・・・」というと
「あれは野点です」とそっけなく応える。みなさん大まじめである。
狸汁?
野点のご婦人方
祭式が始まる前に本殿にあがってみた。
祭壇中央に二つのモノクロ写真がうやうやしく置かれている。
近づくと野口雨情と作曲家中山晋平の額入り写真だった。
このふたりがいなかったらこの寺の全国デビューはなかったであろう。
よって、狸よりも大事にされるのも無理はない。
十数個の狸の置物が2枚の写真の両脇を固めていた。
童謡が発表されたとき、当時の住職は、
寺で狸が踊るとは、不敬である・・・と激怒したそうな。
だが、そのご全国にこの歌が広まると、ちゃっかりススキや萩を境内に植え、
狸塚を作った抜け目のない商魂・・・云々を知っているから、
おかしさが込み上げてきた。
このまつりのハイライト「証城寺の狸ばやし」の唄と踊りは、
一時間後と知り海岸通りを一巡りする。
ふたたび寺に戻ると、すでに余興が始まっていて、
細くて狭い参道には見物の雌狸・雄狸・古狸がいっぱい。
祭壇の前の30畳ほどの広間は人垣で見えない。
本堂を囲む廊下も立錐の余地がない。といっても観客数は100人程度。
スピーカーを通して篠笛、琴の音が聞こえるのみだ。
和楽器演奏のあとに木更津甚句の踊りが始まった。
が、これも人と人の間から垣間見えるだけ。
しかたなく近くの人にインタビュー。
「どちらから?」
「わたしは雨情先生の郷里北茨城からやってきました。地元の誇りです」という。
「作詞にケチをつけるわけじゃありませんが先生は、いい加減なところがありますね」
「どうして?」
「作詞のいきさつや歌詞に出てくる情景描写に嘘があります。
こどもの教育にはよろしくありませんね」
相手がムッとするのを承知でけしかけた。ひまつぶしのからかいである。
「いいですか、この証城寺というなまえのつけかたもそうですが、
『波浮の港』の歌詞だけでも2つまちがいがあります。」
「えーっ!?」
「『証城寺の狸ばやし』については、わたしのブログを見てください。
『波浮の港』については、夕焼け小焼けなんぞ地形的に見えません。
もう一つは大島に海鵜なんていないのに
磯の鵜の鳥、日暮れにゃ帰る・・・なんて書いてますね。」
かれの自慢げな顔が、戸惑いの顔に変わった。
気まずくなったところで救いの放送が流れる。
「続きまして狸ばやし保存会の・・・」と司会者の声だ。
と同時に自分はさっと動いた。
人ごみの後ろからではあったが廊下に這い上がり、
両手を高くあげて舞台にカメラを向ける。
しかし、出てきたのは子狸ではなく母狸の勢揃い。
衣装がいただけない。腹の部分が黄色で、そのほかは空色。
同じ色の耳はあるがシッポがない。体型は似てるが狸にはみえない。
和尚さん役は、舌切り雀のおばあさんのようだ。
しょっ しょっ 証城寺・・・ の童謡とともに浮かれて出てきたが
足元がおぼつかない。可愛さゼロ。
つづいてなぜかピンク色の着物をまとった
60代後半の女性が踊り出た。
狸がキツネに化けたのか中途半端な踊りが繰り広げられる。
これもミス・キャスト?いや振付ミスか? 可愛さゼロ。
背後で晋平先生が薄笑いを浮かべ、
雨情先生は「※こりゃ狐メだっぺ、たぬぎメでやんすか?」と怪訝な顔をしている。
童謡は、「子供が唄って踊るもの」とつくづく感じた。
前座が引き立ってはトリが浮かばれない。
これはどうも寺側の演出ではないかとも考えた。
大人の踊りの後にやって来ました!子だぬきが・・・。
茶色の衣装を着けた10人近くの小学生。あまりの可愛さに堂内がざわめいた。
おすまししたこども、にこにこ顔で踊る女の子。
小坊主もいれば和尚さんもいて、しぐさがかわいい。
この可愛さはスチール写真では伝えにくいので動画に撮った。
早速ブログで公開しようと思ったが、こちらも古狸の限界、
動画を取り込むすべを知らない。
よく観ると
子狸にも尻尾がないことに気づいた。
木更津の狸は天然記念物なのか?
帰宅してからつぎの二つについて考える。
①おまつりなのに今ひとつ物足りなさを感じたのはなぜか?
②なぜ踊る狸に尻尾がないのか?
上記①は、不良の自分から見ると、みなさんまじめすぎるからではないか。
もう少し遊び心がほしい。
古来、寺社が介在する祭り(神楽や田楽、盆踊り、花祭り等)は、
庶民の娯楽であるとともに宗教儀礼でもあった。
その点からみると證誠寺の狸まつりは宗教儀礼でも古典民俗芸能でもない
異質なものだ。別な言い方をすれば
ヒットした童謡が引き金になった「軽いタッチのお祭り」のようだ。
ならばもう少しユーモアがあってもいいような気がする。
一方、ちかごろの日本の祭りは、人の関心を引くことだけに腐心し、
ショー化しすぎている。
そこに住む人々の心に触れようとしない見物人や、
土地の人をからかって得意がるテレビ番組などは、
健康な庶民の心を毒している。
その観点からいえば、證誠寺のまつりは、
多少ちぐはぐなおとなの踊りと、メインのこどもの踊りが、
小学生のお遊戯発表会のようではあったが、
素朴で飾らず、ほのぼのしていているところがいい。
②の「シッポがない」については、しかるべくして省いたのではなかろうか?
先端が丸みを帯びた太めのシッポは、踊るときに垂れ下がってしまう。
これを真正面から見ると狸絵の特徴であるあの「下半身」にみえる。
下品になるのだ。たぶんこの推理は当たっていると思う。
疑いのある方は、ヘチマを腰にぶら下げて鏡の前で踊ってみるがいい。
へちま
ここまで書いて気が付いた。
自分は男なので鼻の下に縦皺はないが、
ちかごろ長谷川町子の『意地悪ばあさん』の連れ合いになってきた感がある。
注釈※=「こりゃ狐メだっぺ、たぬぎメでやんすか?」
茨城方言。動物や虫の名に「~メ」が付く。蝿→へァーメ。狸→タヌギメ。「やんす」は敬語表現。
備考:このブログを読んだ方は、拙ブログ過去記事「童謡証城寺の狸ばやし誕生の真相」をお読みください。
記事URL:eee-141tec.blog.so-net.ne.jp/2014-02-07
◆
さすがにお琴の美女は狸目にはできませんでしたか(笑)
正栄家、私が保証します!(あてにならない保証ですが)
by ぐす (2014-10-28 22:18)
仮装がぬるいのかもしれませんね
「こんなバカなことにこんなに情熱を!まったく無駄!」
人に見下されるくらいの情熱がないと祭りは面白くありません
タヌキのしっぽ…難しいかもしれませんが、狸には大事ですよね
尾てい骨部分に密着する形のT字の芯を入れて腰ベルトで固定すれば…
他人事ながらいろいろ考えてしまいます(^^;)
by Chobi.H.YAOITA (2014-10-29 11:21)
楽しく面白くご案内いただきますた 狸といえば上州館林では・・
by セイミー (2014-10-29 14:58)
狸に尻尾がないのは、柴犬にクルッとした尻尾が無いのと・・・。
タヌキの可愛さがない・・・。
残念・・・。
by 谷津ひ (2014-10-31 11:28)